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「壬申の乱」(古代史上最大の内乱) 

2017年08月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



敵対する多くの家族を破り権力を手中にした天武天皇

中大兄皇子が即位して天智天皇となる
 ☆翌年には大功労者であった中臣鎌足が没した
天智天皇は都を飛鳥から近江大津宮に遷都した
 ☆壬申の乱の折りに焼失し、その跡地とされる地に創建された近江神宮
「壬申の乱」勃発(古代史上最大の内乱)
 ☆天智天皇の死後、息子大友皇子と、皇太弟大海人皇子の皇位を巡り激しい争う
『日本書紀』記載された「壬申の乱」は、大海人皇子軍の勝利
 ☆最終的に、瀬田唐橋を巡る激しい攻防戦が繰り広げられた
 ☆戦は、大海人皇子軍が優勢になり、大友皇子軍は敗走を始める
 ☆敗れた大友皇子は、自ら命を断ってしまった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『歴代天皇史(三栄書房)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています






「壬申の乱」(古代史上最大の内乱)(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)

大海人皇子が即位し天武天皇となる
大友皇子、大豪族を打ち破った天武天皇は、絶大な権力を手中に収めた
「大君=天皇は神である」という概念が、この頃から形成された
 ☆柿本人麻呂や大伴御行の歌人たちも歌に詠んでいる
天皇を頂点とした中央集権国家、律令国家としての形が整備された

日本に現存する最古の歴史書「日本書紀」
舎人親王が、父親である天武天皇の指示により日本書紀を編集した
『続日本書記』によると
 ☆舎人人親王が、天皇の命を受け”日本紀”の編纂にあたったと記載されている
 ☆「完成し紀三十巻と系図一巻をした」撰上とある

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