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独りディナー
父の日
2017年07月19日
テーマ:シニアライフ
昨日は、お世話になった先生と看護師さんにお礼のご挨拶に行ってきて、ちょっと一区切りついた気がする。
主人が、6年間にわたる病気との付き合いで、自分の意志を貫けたのは、その考えを理解して下さった先生に出会った幸運、に尽きると思う。
病気を自分の寿命として受け入れて、できる限り自然態で付き合っていこう、という主人の姿勢は、先生の協力があってこそである。
主人は、科学者なので、処方して下さったお薬も、効き目を自分で納得しないと気が済まない。
「暫く、この薬は、飲むのを止めてみよう」と言って、様子を見る。
痛みが強くなってくると「これは、効き目のある薬なんだな」と納得して、実験は次の薬に移る。
という様な事を、何度も繰り返していた。
先生に、「自分で人体実験してるんです」と言っていた。
あるとき、処方して下さった薬を飲まないものだから、「余り、人体実験しないで下さいよ」と、仰ったこともある。
「暇だから、そのくらいしか楽しみが無いんですよ」と主人が答えると、先生はちょっとはっとなさった様子に見えた。
其処は、再発後に紹介された病院で、緩和ケア病棟も併設されていた。
カトリック系の病院で、主人はそこに通いながら、無理な治療はせず、痛み止めを飲みながら、穏やかに過ごしていたのだ。
先生も、ことさら診察などはせず、時折思い出した様に「検査してみますか?」と仰るだけだ。
でも、主人が「良いです」とお断りすると、
「そうですね。様子がわかったからと言って、治療法があるわけでもありませんし。見たくないものを見てしまうこともありますからね」と、仰るのだった。
在宅治療を続けたいという希望を受け入れながら、最期まで主治医として相手をして下さった。
亡くなる数週間前には、起き上がれなくなった主人に代わって、私が病院に行き、様子をお話ししてお薬を処方して戴いた。
一方で、病院の訪問看護師さんは、毎日来て下さって、点滴や色々な処置をして下さっていたが。
亡くなる前の日は、外来診察の予約日であった。
又、代理で行くつもりだったのだが、主人が、「今回は、自分で行く」と言う。
丁度その場にいらした訪問看護師さんが、「リフト・タクシーを使えば、行けるかもしれません」と教えて下さったので、早速、予約した。
ストレッチャーが、果たしてマンションのエレベーターに乗るかどうかのチェックなど、事前に周りの方々の協力を得て、主人は病院へ行った。
お世話になった先生と看護師さんに、直接お礼が言いたかったらしい。
主人が病院へ行っていた間、留守番をしていた息子が、ベッドを寝室からリビングに移動させていた。
寝室は、元々北側にあって大きなベッドが二つ置いてあるだけの、殺風景な部屋である。
私一人では、どうにも出来ない、と思っていたが、戻ってくると、ベッドは明るいリビングの真ん中に置かれて、食卓と椅子が、端の方に寄せられていた。
「まるで、ホテルのスィートルームみたいじゃない?」と、明るい部屋で、私はちょっとはしゃいだ。
私としても、一仕事が終わって、ホッとしたところだった。
「では、帰るよ」という息子に、「今度会うのは、父の日かな・・」と私は答えた。
丁度、その週末が父の日であった。
主人は、疲れたらしい様子ではあったけれど、何時もの様に「水が飲みたい」とか「ゼリーが欲しい」とか、様子に大きな変化は無かった。
そして、夕方になって、「ラーメンが食べたい」という。
「四分の一位、ほんの少し。西山ラーメンがいいな」という。
私がよく作る、札幌ラーメンだが、生憎材料が無かったので、
「一時間くらいあれば、スーパーで買ってきて作れるけど・・」と言ってみると、「良いよ」というので、買いに行った。
ラーメンは、作ってすぐ食べなければ美味しくないから、実際に主人が食べたときは、うとうとした後で時間が経っていたし、きっとうんざりの味だったのでは無いかと思う。
それでも、電動ベッドを上方に傾けて、体を半分起こして、自分で食べていたのだった。
それから暫くして、すやすや眠り始めたので、私も安心して、そのスイートルームで眠リに落ちたのだけれど・・。
翌朝、主人の荒い息使いで目が覚めた。
それでも、「お薬、飲む?」と聞くと、「うん」と答えて、
枕がずり落ちそうになっていたので「枕、直そうか?」と聞くと頷いていたのが・・。
朝まだ早かったので、6時になるまで少し待って、それから病院に電話した。
訪問看護師さんに連絡して貰って、すぐ横のベッドに戻ってみると、主人は既に呼吸を止めていた。
葬儀は、子供達の希望に添って、「父の日」に執り行った。
週末にしたのは、色々な場所に就職した卒業生達に来て欲しかったからもあった。
近郊に就職した卒業生は、二日とも参列してくれたし、東京や筑波などから、大勢顔を見せてくれて、主人はどんな笑顔をしているだろう、と本当に嬉しかった。
子供達が独立したあと、当地で教職に就いた主人は、学生さん達と一緒に過ごす時間が、本当に楽しかったらしかったから。
葬儀が始まる前、私の隣には娘が座っていた。
二年ほど前、こうして家族席に座って式が開始するのを待っていた、娘の結婚式を思い出した。
あの時も、花嫁の父だから、主人の席は空席だった。
何だか、あまり違わない気もした。
葬儀の挨拶で、息子はちょっと言葉に詰まりながら「全てがお手本の父でした・・。」と話し始めた。
父の思い出を語りながら「少し変な表現かも知れませんが、すごく上手な死に方でした」
初めて、涙が出てきた。
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彩さん
主人が亡くなって、何故か、夢中になって断捨離をしました。
まず、大量に余った薬。
もう、決して使うことの無いたくさんの衣類。
部屋も、ベッドを移動させた後片付けの時に、大きく家具の配置換えもしました。
家の中から、どんどん主人が使っていた物が消えていきます。
でも、主人の気配は、厳然として存在しています。
だからきっと、今は、寂しくないのでしょうね。
これからの事は、余り考えない様にしています。
只、仰る様に肩凝りが凄いんですよ。マッサージ器でも買おうかと思うくらい。
何か、お薦めありますか。
2017/07/20 09:11:41
師匠
主人が亡くなった後、ちょっと感情が高ぶって、「これから、あなたに恥じない様な人生を、送れるかしら・・」と思いました。
でも、後から息子が「お母さんの人生を、自由に生きれば良いんだよ。ロックンローラーでも何でもさ」と言ったのを聞いて、急に人生(余生?)が明るく照らされた気がしました。
2017/07/20 09:03:03
吾喰楽さん
それぞれの人生ですよね。
ずっと横で見ていて、私にはとても同じ事は出来ないと思いました。
まあ、真似をしようとも思いませんが・・。
奥様も長かったそうですね。
選べないのは、悲しいですけれど、その時間の過ごし方は選べるのだなあ、と思いました。
2017/07/20 08:53:51
気丈なシシーさん。
まだ日が浅いのにシシーさんの気丈で
冷静な思いを拝読して、素直に
さすが立派だと思いました。
まだまだ気を張っておられるようです。
お家の中の空気もピーンと張った感じが
あることでしょう。
梅雨も明けたようです。
ゆっくり、こわばった身体と心の
凝りもほぐしてくださいね。
2017/07/19 19:11:57
日にちくすり
実験が楽しみ、それも我が身を用いてとは、
いかにも科学者さんらしい発想ですね。
旦那さんには、ユーモアの素質があるようです。
主治医さんにも、同じことを感じます。
良き先生に恵まれました。
そして、シシーマニアさんの、この文章です。
一人の人間の最後を、淡々と語り、そこに過不足がなく、
読む者をして、その場に臨ませるが如き、力があります。
エッセイとして、何処に出しても、通用するでしょう。
既にして、悲しみの中から、立ち上がった作者を感じ、
読者として、大変喜ばしく思っております。
2017/07/19 17:00:51
生き様と死に様
こんにちは。
八年前の今頃を思い出しながら、拝読しました。
ご主人は、中々、意志の強い方だったのですね。
素晴らしい生き様、そして、素晴らしい死に様です。
多分、私には無理でしょう。
でも、なるべく、子供たちに厄介を掛けたくないとは思っていますが。
2017/07/19 10:12:35