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独りディナー
部屋の鍵
2017年06月25日
テーマ:思い出すままに
昨日、主人の親友スワヴェックから、メールが届いた。
主人が亡くなった日、私はすぐに彼にメールを送ったのだ。
主人が、病気のことは伝えてあったのだけれど、日本とポーランドでは、さすがに遠いからだろう。
相当、ショックを受けたらしく、「自分に何が出来るかを考えるので、ちょっと時間が欲しい」という返信がすぐきたのだった。
そして昨日。
彼から、様々な人からのメッセージや、共に委員であり国の代表をしていた、国際会議からの弔文などが、転送で送られてきた。
それを読みながら、一緒に楽しい時間を送った、様々な思い出が、白黒の映像の様に記憶に蘇ってきた。
今までの10日間は、主人が自分と一緒に居るのだ、という思いが強くて、余り過去を振り返らなかったのだけど。
それは、初めて、追悼の気持ちを味わった瞬間だった気がする。
それ程に、スワヴェックと共に過ごした時間は楽しかったし、短い彼の文章から、強烈な惜別の寂しさが伝わって来たのだった。
最後に会ったのは、一昨年の九月。
ポーランドの古都、クラクフで国際学会の委員会が開催されたときだった。
もう既に主人の体力は大分弱ってきていて、参加は諦めていたのだが、無駄になるのも承知で航空券は予約してあった。
開催日の二週間ほど前の、病院での診察日。
「仕事を続けるのは、もう難しいでしょうね」というお医者さまの言葉に、「旅行はどうでしょうか」と、私はちょっと茶目っ気を出して伺ってみたのだ。
「旅行くらいなら、むしろ良いんじゃないですか」と、仰る先生に「海外なのですが・・」と続けると、「まあ、勧めはしませんけどね」というお返事。
ところが、ずっと薬の処方などで診察には関わってきて下さった看護師さんが、薬持参で国外を出るときや、海外で入国するときに、必要な手続きを調べて下さったのだ。
その時の主人は、痛み止めの為に麻薬を使っていたので、面倒な手続きが色々あった。
そして更に、大きな問題は、ホテルの予約であった。
会議中にも、時間が空けば自室で休みたい主人にとって、会議場を設定している同じホテルに泊まるのが勿論ベストであったが、参加者の大半が早くから予約している当のホテルに、一週間もの連泊で空き室など、有るはずも無い。
散々ネットで探して、会議場から数分の場所を探し当てたのだが、余りの宿泊費の安さに、一抹の不安は残った。
空港では、麻薬持参の手続きに、結構手間取った。
名古屋の国際空港では、係の人がぶ厚いマニュアル本のページをめくりながら、「すいませんね。こんなこと、年に一度位しかないもんで・・」と言い、それに主人が「死にそうな人は、普通、海外旅行はしないでしょうからねえ」と応じるのだった。
クラクフの空港で、無事手続きが済んで、向かったホテルは・・。
40年前に、私がウィーンに住んでいた頃、留学していた仲間達が下宿していた様な、エレベーターも無い、古くてがっしりした建物だった。
バックパッカーのような若者達が、寝泊まりする様な、民宿といった処なのであろう。
翌日の朝食は、用意して貰ったけれど、訊いて見ると夜遅くまで開いているコンビニの様なお店が近くにあったので、まずはビールを調達。
5階にあったその部屋までは、長い間使われていた結果、中央の部分がすり減った石の階段が、上までずっと続いていた。
私の荷物は宿の人が運んでくれたけれど、主人は自分で黙々と運んでいた。
部屋の鍵を渡してくれたとき、「スペアキーはありますか?」と聞くと、一つしか無いのだと言う。
「鍵を持っていない人が帰ってきた時は、いつでも私達に言って下さい」と、受付の人が明るくて感じが良いのは、救いだったけれど・・。
一週間も長居をして、それぞれが別の行動をとる様な客は、想定していないのだろう。
それからは、毎日仕事のある主人が、いつでも戻れる様に鍵を持って出かけ、出かけるときは一緒の私は、暇に任せて街が動き出す前から、あちらこちらと歩き回った。
主人の仕事が終わる時間を聞いておいて、その頃まで、わざわざ遠くまで路面電車に乗って出かけてみたり、旅先で時間つぶしをするという贅沢を味わった。
私は、其処に住んでいる人のような気分になって、知らない街を歩くのが大好きなのである。
クラクフの街では、随分土地勘が出来たなぁ。
一昨年の、ヨーロッパの夏は暑くて、一年ぶりに出会った委員のお仲間達は、自分の国はどんなに暑かったか、という話で盛り上がっていた。
ポーランドでは、記録をつけ始めて以来の最高気温だ、と話題になっていた。
ヨーロッパに行ったらワインを飲もう、と勇んでいた私も、連日の暑さで殆どビールで過ごした記憶がある。
その年の委員会は、ポーランド代表のスワヴェックが主催者だったので、主人は無理してでも参加したかったのだろう。
委員会開催中は、いつも同伴者の為に、毎日小さな見学会を主催者が計画してくれている。
今回は、クラクフ出身でワルシャワ工科大学のスワヴェックの研究室の学生さん、という美しいお嬢さんが案内してくれた。
最初の日の、町の中を路面電車に乗りながら、色々なところを回るという、見学会には私も参加した。
委員会は少人数なので、参加者の希望を入れながら、自由に進んでいく。
翌日は、アウシュビッツの見学日であった。
委員の人達は、連日仕事があってその見学会には参加できないから、会議の始まる前日に単独で訪れている人も多かった。
私は、10数年前に初めてポーランドを訪れたときに、その当時は未だアクセスが良くなくて、タクシーをチャーターして主人と訪れたことがある。
今回は、主人の病気のこともあって、私にはちょっと精神的に重すぎたので、パスしたのだが。
委員会に参加ていしたメンバーは、西欧から来ていた人達が多く、彼らの会話を聞いていると、アウシュビッツを訪れるかは否かは、その人の生き方にも関わってくる問題の様であった。
私はその日も含めて、色々な教会を回ったり、ワインを飲みながら一人ランチしたり、大きなスーパーマーケットへ行って、毎朝の食料を調達したりなど、自由を楽しんだ。
主人が朝食のコーヒーは自室でゆっくり飲みたいというので、ネスカフェの小瓶を買って、牛乳を買って、クリームチーズの小分けのパックを買ってバターの代わりにして、ブドウと美味しいソーセージと、素晴らしく美味しい普通のパンを買った。
ヨーロッパの普通のパンは、どうしてこんなに美味しいのだろう。
レバーソーセージが買いたくて、ソーセージコーナーに長い間佇んでいたが、説明がポーランド語なので、皆目わからず・・。
側で買い物をしていた、おばさんに訊ねてみたけれど、年長者は殆ど英語を話さない。
もしや学生ならと思い、若い数人の男性が居たところまで、それらしきソーセージを持って行って、「これはレバーソーセージかしら」と訊いてみたら、丁寧に包装に書かれている説明文を読んでくれて、「ああ、これは違いますね」と親切に教えてくれた。
でも、まさかソーセージ売り場に彼らを引っ張っていって、「じゃ、どれが、レバーソーセージでしょう・・」とは、いくら私でも聞けなかったなあ。
それ程に巨大な、スーパーマーケットであったのだ。
何時も私は、ヨーロッパのホテルに泊まると、朝食バイキングで、レバーソーセージと、鰊の酢漬けを食べるのが楽しみなのだが・・。
そして、最後の朝。
私はその日、荷物を作る為だったか、早くに出かける主人よりも遅くまでお部屋に居て、午後は早めに戻りたかったのだ。
結局、会議場に寄って主人を探し、主人もドア近くに座っていてくれたので、素早く自分の鍵を渡して、最終日のクラクフ散歩を楽しんだのだった。
一週間も居ると、天候も随分変わってきて、それまでは肩もむき出しの様な夏服を着ていた人々が、その日は急に気温が下がったので、あっという間に冬装備に変化しているのは、中々面白かった。
周りを気にしない民族は、見ていて様々で楽しい。
暫くの間、広場に面したレストランのテラスで、ワインを飲みながら人々を眺めて、ちょっと早めに帰る事にした。
一度位は、受付のお姉さんにドアを開けて貰っても良いかなと思い、お手を煩わせて部屋に戻った。
それから、疲れた体を休めてベッドでうつらうつらしていると・・。
程なくして、ドアの鍵を開ける音がきこえ、重ねて主人の「サンキュー」という声が聞こえた。
驚いた私が「鍵は?」と入ってきた、主人に訊くと、
「君が渡してくれたのは、これだよ」
そこにあったのは、ホルダーの付いた我が家の鍵だったのだ。
主人には、そんな迷惑ばかり掛けた、共同生活だったなぁ・・。
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澪さん
コメントありがとうございます。
私のブログがきっかけで、シチュエイションが似ている澪さんの記憶も、蘇ったのでしょうか・・。
「京都を食べ尽くす旅」なんて、情緒豊かですね。
此処から京都は割と近いので、越してきた当時はちょっと通いました。
又、行ってみたくなりました。
因みに、此処では「そうだ、京都いこう」というキャッチコピーも、見かけませんし・・(笑い)
2017/06/26 06:46:06
師匠
鍵に対する考え方はきっと、日本とヨーロッパでは違うのでしょうね。
形は余りよく覚えていませんが、確か、鍵穴に差し込んでから、二、三度回す、というタイプでした。
そして、更に、同じ鍵で、もう一カ所の鍵穴も施錠した記憶があります。
>「キーを渡す」
>その一点だけに、思いが前のめりになる。
私の性格を、実に的確に表現して下さって、笑い転げてしまいました。
2017/06/26 06:37:59
彩さん
コメントありがとうございます。
気分が少し、日常的になってきたのでしょう。
事後処理の手伝いに来ていた娘も帰京して、一人で色々考えました。
これから、何をしようかな・・。
2017/06/26 06:30:05
回想の世界
シシーさん
「日にち薬」がいい頃合いに効き始めた様で・・・
以前の様に、あの楽しかった日々の世界に
戻って来られて好かったです。
非日常の世界の記憶って、いつでも新鮮に
昨日の事の様に蘇ってくるものですネ!
>・・・その頃まで、わざわざ遠くまで路面電車に乗って出かけてみたり、旅先で時間つぶしをするという贅沢を味わった。
私が20代中頃、母は心の病にかかっていて、
父は学会などで家を空ける時はいつも母を連れて
出かけ、母のお相手は私に声がかかります。
京都の学会、予定は1週間でした。
路面電車に乗って・・・
北は鞍馬山の牡丹鍋から、
南は宇治・万福寺の普茶料理まで、
京都を食べつくした思い出( ̄▽ ̄ ).。oO
また少しづつ、回想のお話を聞かせてくださいね♪
2017/06/25 17:58:27
あはは
私は長く、カギ屋稼業で、生計を立てていました。
キーを見ただけで、錠の値段、盛んに使われた年代など、
おおよそのことが分かります。
ポーランドの安宿のそれが、どんなキーか、とても興味があります。
最新鋭の、電子キーや、ディンプルキーでないことは、容易に想像されます。
年代物に過ぎて、スペアーキーを作るのが、難しいのかも知れません。
(それとも単に、経営者が横着で作らないのかも)(笑)
安宿にも興味があります。
私の旅は、安宿専門ですから。
(国内だけですが)
中央部がすり減った階段、それを想像しただけで、
その宿に堆積する、歴史を想い、嬉しくなってしまいます。
(変人なのです、私は)
宿賃とドアの錠のグレード、これはもう、見事に比例しています。
シシーマニア家の玄関のキーと、ポーランドの安宿のキー、
これは、月とスッポンと思われます。
「キーを渡す」
その一点だけに、思いが前のめりになる。
その、そそっかしさに、私は、同族に出会ったような、安心感を覚えます。(笑)
2017/06/25 15:59:41
綴りながら
こんにちわ!
シシーさんがBlog更新されていると
安心します。
バックグラウンドミュージックまで
聞こえてくるかのようなご主人との
回顧録は、まるで映画を観るようです。
絵になるご夫婦でしたね。
最後にオチには、さすがシシーさんだと
笑ってしまいました(笑)
つづきを待っています。
2017/06/25 13:08:43