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独りディナー
そうだったら、嬉しいけれど
2017年04月17日
テーマ:シニアライフ
昨日は、イースター礼拝に、参加した。
本当はこんな喜ばしい日では無くて、金曜日の受苦日礼拝へ行って、牧師さんとお話ししたかったのだが・・。
金曜日。
早起きして、教会へ出かけるつもりで準備しながら、ちらっと手帳を覗いてみると、何と、夜に女子会の予定が入っていたのだ。
覗いてみて、本当に良かった。
何故かそちらは、月曜日だと思い込んでいたのだから。
演奏会が終わって、張り詰めていた気持ちがバラバラになって、頼れるのは教会、と私は何処かで思っていた。
イースターのお祭りで、皆さんが楽しんでいる時に参加するのはいささか憚られたのだけれど。
でも、そんな時だからこそ、今日の牧師さんのお説教は考え抜かれているに違いないと思って、お邪魔したのだった。
信仰心を得ていない私が、度々教会へ行くのは、牧師さんのお説教を聞くのが目的なのだ。
礼拝が終わって、出口で送り出していらした牧師さんは、
私を見ると、先日の私達の演奏会に行けなかった事を、とても悪そうに詫びて下さった。
こちらも、最もお忙しい日である筈の先生に、私の支えを失ってしまった様な気持ちを、お話しするつもりでは無かったので、「中々、礼拝にこられませんで・・」といった儀礼的なお話をしただけで、帰るつもりだったのだが。
何故か、直後に再度お会いしたときに、私は話し始めていたのだった。
すると、立ち話だったので「こんな所ですけれど、一緒にお祈りしましょう」と先生は仰って、私のために祈って下さった。
その後「事情もわからないで、何ですけれど・・」と先生は言いながら、私の腕を握って下さった。
それからの私は、お忙しい先生のお時間に割り込んでしまったという、申し訳ない気持ちは勿論残ったけれど、ちょっとだけ気持ちが晴れやかになった。
それは、誰かと気持ちの交流があった、という単純な晴れやかさだったかも知れないけれど。
でも、もしかしたらその瞬間、私の深いところに届くなにかがあった様な気もする。
そうだったら、嬉しいけれど。
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オー、さすが彩さん
コメントありがとうございました。
神戸に行ってらしたのね。
彩さんのブログはコメント欄が閉じられているので、こちらにコメントしますね。
さすが、彩さん。
どうして、そんなに自然体でいられるのでしょう。
そんな彩さんが相手だからこそ、憧れの君も、肩肘張らずに、二人で素敵な時間を共有できるのでしょうね。
2017/04/20 11:21:09
ご復活祭
何事にも真摯に取り組むまれる
シシーさんだとは思っていましたが。
何か立ち止まってしまった時に、
原点に戻れる場所が教会(祈りの場)
でもあるということですね。
>演奏会が終わって、張り詰めていた気持ちがバラバラになって、頼れるのは教会、と私は何処かで思っていた。
そうした心の拠り所を持っているかどうかということが人にとって、大切だと思いますね。
私にとっても、方向性が見えてくる場所
かなと…。
今年は、神戸の古巣の教会でイースターのミサを受けてきました。
2017/04/19 04:21:44
吾喰楽さん
コメントありがとうございます。
自分にとっての教会、とは何なのか、分析できていませんが。
生憎と言いますか、主人がかなり強い「アンチ基督教」なので、それを押してまで行こうとは思いません。
宗教というのは、目に見える訳では無いので、はまってしまうのもこわいですし・・。
2017/04/18 14:02:03
洗礼
仕事絡みの知人ですが、他界する少し前に洗礼を受けた方がいます。
残念ながら、その思いを聞く機会はありませんでした。
ブログを拝見して、思い出しただけで、洗礼を勧めているのではありません。
私は、何かあると、墓参りや神社へ行くことがあります。
心が落ち着きます。
特別、信仰心が篤いという訳ではありませんが。
2017/04/18 06:55:41