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“銃剣道”の由来を山縣有朋著「陸軍省沿革史」から見る(其の五)寫眞週報 

2017年04月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



情報局編輯・発行の「寫眞週報」昭和十五年(1942)十二月二日発刊
表紙はモノクロでしたが、「大東亜戰爭一周年」は「東條英機内閣總理大臣の英姿」を「オフセット四色刷としたもので、わが國のグラフ表紙としては最初の試みである」と説明されています。


「やけつくやうな炎熱を冒して銃?術の猛訓練ーフィリピン」


 
 シンガポールが陥落し、戰勝第一次祝賀の二月十八日、われわれはあの日
の感激を終生忘れることができない。それから瞬く間に、全蘭印の勘定が成
り、ビルマもわが手に歸した。そして三月十五日第二次戰勝祝賀の日も、マ
ソグレーが陥ちた日も、れれわれは心から『兵験さん、有難う』と叫んだ
 現在南方地區の戰争は緒戰を終り、既に建設戰の段階に入つた、といはれて
ゐる。だが、兵隊さんの御苦労はちつとも變つてゐない。占領地域の治安が
微動もしないのも、軍紀嚴正、よく新らしい建設に挺身する皇軍將兵に寄せ
でゐる原住民の限りない信頼が、輿(つち)つて大きな力となつているのだ
 なほ敵が徒らに呼號する奪回の夢をたち、常に新らしい進撃への態勢を整
へて日夜猛訓練を續けてゐる皇軍將兵に、どうして寸時の憩ひがあらうか。
われわれはさらに兵隊さんの御苦労を偲び、勝ち抜く第二年目への覺悟を固
めねばなるまい

昭和十八年四月七日発刊



 若い衆、流石じゃ 寺尾よしたか
『ウーン、流石は決戰下、銃後の尖兵、生産戰士
の御花見だけあるワイ、儂ァ配給の酒など持って
 きて、穴があったら這入りたいワイ』

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