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仏教(栄西・臨済宗) 

2017年02月20日 外部ブログ記事
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栄西が持ち込んだ宋風禅の教え

ひたすら禅定して自らの仏性に気づくという教え
禅定し、師から出題された問題(公案)に取り組んで悟りを目ざす
武士の気風とも合い、鎌倉幕府将軍の源頼家や、その生母北条政子の帰依も受ける
栄西は、頼家の庇護で京都に建立された建仁寺の開山となる
 ☆比叡山の勢力に配慮し、同寺を禅・密教・天台の三宗兼学道場としている
臨済宗が禅宗となるのは、宋から蘭渓道隆や無学祖元が来日した以降です
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『仏教(成美堂出版)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています








臨済宗栄西(仏教(成美堂出版)記事、ネットより画像引用)

禅宗は、自力の教えを説く
坐禅によって人の内面にある仏性(仏となる素地)を自覚して悟りを開く
禅宗は、道昭や最澄も日本に持ち込んでいる
禅宗が定着するきっかけをつくったのは、日本臨済宗の開祖栄西です

栄西と臨済宗
栄西は、備中で神官の子として生まれ、比叡山に上って天台宗を学ぶ
入宋して臨済禅を知る(菩提達磨の言葉)
 ☆修法や経典によらず、禅定して心を見つめ、自らの仏性に気づいて成仏するという教え
臨済禅に共感し、臨済禅こそが戒律の乱れた日本仏教界に必要だと考えた
再度入宋し、臨済宗黄龍派から悟りを得たことの証明である印可を受けた

栄西は、九州各地に禅寺を開く
京に戻って布教を始めるが、天台宗の働きかけにより、朝廷から禅宗停止の命令を下されてしまう
栄西は禅による国家守護を説いた『興禅護国論』を著す
天台宗を意識し、自らの真意は最澄の仏法を復興することだと主張した
聞き入れられなかったため、栄西は鎌倉に下る

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