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雑感日記
カワサキの二輪事業と私 その35 昭和39年(1964)
2017年01月12日
テーマ:テーマ無し
★ 昭和39年(1964)は、東京オリンピックのあった年である。
新幹線が開通した年でもある。7月25日に東京ー大阪間に初めて試走車が走ったりした。 オリンピックを機会に東京に高速道路が出来たり戦後の日本から急速に復活しようとしているそんな時期だった。
カワサキの二輪事業は、前年度の日本能率協会の市場調査の結論が、『この事業続けるべし』と出て、その条件の一つに広告宣伝課を創ることがあげられ、その担当を指名されることからこの年が始まっている。
それまではカワサキ自販で担当していた広告宣伝業務が明石の川航に移管され、その予算も年間1億2000万円もの額が、本社開発費で計上されることになったのである。
それまでカワサキ自販で広告を担当されていた小野田滋郎さんと一緒に広告代理店を選考する作業から始まったのである。
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小野田滋郎さん、あのフィリッピンの小野田寛郎さんの弟さんである。小野田さんと一緒に仕事ができてその戦略・戦術・戦闘論など多くのことを小野田さんから学んだ。
サラリーマン生活で、私に一番影響を与えた方が小野田さんだった。
その小野田さんはこの年の3月にカワサキを離れられたのだが、その送別会の席で私にくれた言葉は『雑音に耳を貸すな』だったのである。
いろんなことをやればやるほど『雑音』が入るものである。 自らの『生き方』を信じて小野田さんの教えを守って、生きてこれたと思っている。
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★日本自体が、新しい時代に入った年だったが、カワサキの二輪事業も新しいことばかりがスタートした年だった。
前年、『青野ヶ原モトクロス』で完勝したのちカワサキのモトクロスが実質的にスタートしたのがこの年からである。
前年の5月、青野ヶ原で勝って以来、レースは会社公認のイベントとして、私の係の川合寿一さんが担当して、小野田滋郎さんが三橋実に創らせた『カワサキコンバット』で新人選手の育成が始まったのである。
『カワサキコンバット』には三橋実のほか安良岡健、梅津次郎、岡部能夫などがいて関西では『神戸木の実クラブ』から歳森康師、山本隆などのメンバーでスタートしたのである。
レース運営は、エンジンは技術部、それをマシンに仕上げるのは製造部に新しく作った『レース職場』その中心は兵庫メグロから来た松尾勇さん、そしてレース運営費用とレースマネージメントは広告宣伝課が担当するという協働体制だったのである。
まだ、カワサキにレース監督などはいなくて、レース現場での実戦指揮は三橋実が担当していたそんな時期だった。
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私はこの年の6月MCFAJの全日本モトクロスが富士の裾野の朝霧高原であったのだが、そこで初めてモトクロスレースなるものを見たのである。
このオープンクラスで山本隆くんが『優勝』して、カワサキは初めて全日本の優勝を果たしたのである。
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?? 50年経った今も、こんなお付き合いのある山本隆くんだが、この年初めて彼と出会っているのである。
この6月のMCFAJ 全日本での山本の優勝は、カワサキのレースチームにとって自信らしきものに繋がったのだと思う。
青野ヶ原の1位から6位までの圧勝は「雨によるもの」だったし、その後地方レースでの連戦連勝も、地元ライダー相手のものだったし、この年初めて行われた相馬ヶ原MFJ 第1回モトクロスグランプリでは6位にも入れなかったのである。
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そして、この年の秋 東京オリンピック開催の開会式の当日から伊豆丸の山で開催されたMCFAJ 全日本モトクロスには、カワサキは4種目中3種目に優勝して、『赤タンクのカワサキ』の名を確固たるものにしたのである。
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? 当時の大スター久保和夫・荒井市次を従えて真ん中に立ったのが山本隆くんである。
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★この年は、広告宣伝課の第1年目であったしレースにもイベントにも猛烈に動いたとしっだったと思う。
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?8月にはテレビの人気番組、『源平芸能合戦』に川崎航空機ー三洋電機 で出場したりした。
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後、川重社長にもなった 田崎雅元さんとは、この年からいろんなことで協働している仲間なのである。
『源平芸能合戦』では応援団長みたいな役をやってくれたし、フラダンスを踊る女子を連れてきてくれたりした。またレース関係では、当時は製造部にいて『レース職場』を担当してくれていたのである。
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★ 星野インパルのホームページの 星野一義のRacing Careea にはこのように記述されている。
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カワサキコンバットに入ったのが前年なのだが、この年の11月までは、レースには出ていない。和歌山のレースとはスポニチに仕掛けてスポニチ主催で初めてモトクロスレースを開催した西日本モトクロスなのである。
モトクロスに優勝してもなかなか情報発信が上手く行かないので、スポニチと組んでモトクロスの開催を図ったのである。翌日の新聞には大きく報道されたのである。広告宣伝の一環としてのレースだったので、そんな仕掛けをしていたのだが、星野はまだコンバットでレースには出ていなかったし、当日もコンバットの運転手として現地に来ていたのである。
当日の朝の練習で岡部能夫が荒井とぶつかって指を骨折したので出場できなかったのだが、星野が岡部の名前のままレースに出場したのである。 開始間もなくジャンプのあと転倒して『脳震盪』で救急車で病院に運ばれたのだが、午後戻ってきて『もう一度走らせてください』というのである。そのレースに出場して確か6位ぐらいに入ったと思う。
それが『岡部の名前で走った』星野の初レースなのである。
???http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/2c675dcd0452f47d1bcb2c104fc56513
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★ 昭和39年、私は新しい仕事に、ホントに頑張って没頭していた1年だったと思う。
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90?の中間車種がよく売れてた時期でカワサキも秋に『85J1』という機種を出すのだが、この機種のモトクロスのデビューが9月10日にあった山梨モトクロスで、私は初めて現場マネージメントをやることになったのだが、『それはどうも頼りない』と当時の製造部の高橋鐵郎係長が、田崎雅元さんをつけてくれたのである。
田崎さんとのコンビでの初レースで、田崎さんも印象に残っているのか、川重の社長になってからもその時の彼のつなぎ姿の写真を送ってくれたりしたのだが、残念ながらなくしてしまっているのである。
広告宣伝と、レースばかりで、二輪事業がどうなっていたのかは、全く頭になかったような1年だったのである。
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★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています
https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/
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