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世界の宗教(朝鮮仏教と日本) 

2016年12月16日 外部ブログ記事
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仏教が朝鮮半島から日本へ

古代に花開くも儒教化で衰退した朝鮮仏教
朝鮮半島経由で 日本に仏教が伝来
朝鮮半島の仏教美術日本へ渡来(大坂四天王寺)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典、『宗教史(成美堂出版)』他引用&参照
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています






朝鮮仏教と日本(『宗教史(成美堂出版)』他ネットより画像引用)

朝鮮仏教は古代に花開くも儒教化で衰退した
仏教は、朝鮮半島三国へ高句麗→百済→新羅の順で伝来した
朝鮮半島の僧は、中国に留学して教義を学んだ
彼らは帰国後に高水準の仏教書を数多く著し、中国に逆輸入され日本にも影響を与えた
朝鮮鮮鵠を統一した新羅と高句麗は仏教を国教とした
14世紀に成立した朝鮮(李朝)は、仏教を排して儒教を国教に定めた
仏教は衰退し、朝鮮半島では、禅宗の一派が残るのみとなった

朝鮮半島経由で 日本に仏教が伝来
6世紀半ば、仏教は日本へ伝来した
仏教は、聖徳太子の庇護を得た後は安定した立場を築いていった
当初の日本の仏教は主に朝鮮半島を経由で情報を得ていた
国力も上がると、中国と僧を相互派遣するようになった
最澄、空海の渡航帰国後、天台宗、真言宗を開きそれぞれが鎮護国家の仏教とて主流派となる
武士が台頭すると、より世俗的な救いを求め、鎌倉仏教6宗が誕生した

朝鮮半島の仏教美術日本へ渡来
建築技術では、聖徳太子が建てたとされる大阪の四天王寺の伽藍配置
新羅の建築様式の影響を受けている

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