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毒舌家、偏屈、商売人?北大路魯山人 

2016年12月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



北大路魯山人(「和食」の礎を築いた美食家)

料理・陶芸・絵画など様々な芸術の分野で功績を残す
傲岸不遜な性格で、自分の価値観に合わない物は批判する毒舌家
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
出典、番組、BS11『せいこうの歴史再考』(経済と結び付けるので、私の好きな番組です)
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます










北大路魯山人(『せいこうの歴史再考』番組画面引用)

北大路魯山人の少年時代
上賀茂神社の社家北大路清操の次男として生まれる
養父の木版の手伝い、扁額や篆刻など分野の基礎的な感覚を身に着ける
初の書道コンクール応募ながら天の位1枚・地の位1枚・佳作1枚受賞する
稼いだ賞金で絵筆を買い、我流で絵を描き始める
15歳位の頃から、西洋看板描きとしても活躍する

北大路魯山人の号を使う
母から家督相続を請われ、北大路姓を継いで北大路魯山人の号を使う
京都・金沢の素封家の食客として転々と生活し、食器と美食に対する見識を深める

北大路魯山事業家として活躍
東京に顧問として「星岡茶寮」会員制高級料亭を始める
魯山人窯芸研究所・星岡窯(せいこうよう)を設立して本格的な作陶活動を開始する
魯山人の横暴さや出費の多さから、星岡茶寮の経営者より解雇通知を言い渡される
戦後銀座に、自作の直売店「火土火土美房(かどかどびぼう)」を開店
織部焼の重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されるも辞退

北大路魯山人の人物像
魯山人は、母の不貞によりできた子で、忌んだ父は割腹自殺を遂げた
生後すぐ里子に出され、福田家に落ち着くまで養家を転々とした
6度の結婚すべて破綻、2人の男児は夭折した
傲岸・不遜・狷介・虚栄などの悪評がつきまとい、毒舌家としても有名
天衣無縫ぶりは、久邇宮邦彦王・吉田茂などから愛された

北大路魯山人の逸話
阪急電鉄の創業者が、百貨店で魯山人の個展を開催
阪急電鉄創業者は、魯山人に対して「少しでも安く売るようにしてほしい」の文章を美術誌に掲載
魯山人は「これが高いと言われるのは不愉快だ」と反論し展覧会の中止を申し出た

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