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葵から菊へ
太平洋戦争はハル・ノート「日本国は支那より一切の陸、海、空軍兵力を撤収すべし」から
2016年12月08日
テーマ:テーマ無し
真珠湾攻撃75年です。
太平洋戦争の引き金となったのは「北京議定書」を破棄することを要求した「ハル・ノート」にあると、遊就館展示室「大東亜戦争」の場所で説明をしています。
管理人の靖国神社平和ガイド資料から抜粋します。
・・・・・・・・引用・・・・・・・・・・・・・・・
1)『戦争には必ず「前史」と「前夜」がある』(都留文科大学笠原十九司名誉教授談)
2)日清戦争(1894〜95年)で台湾・澎湖諸島を植民地にしたことで軍事大国として欧米列強に仲間入りをした。
3)北京議定書により中国大陸に日本軍が駐留する権利を欧米列強諸国と並んで獲得した。
4)しかし満州における遼東半島の権益を「三国干渉」によって失ったことでより「臥(が)薪(しん)嘗(しよう)胆(たん)」を合い言葉に、さらなる軍事大国を目指した。
5)日露戦争(1904〜05年)によって関東州と南満州鉄道とさらには鉄道守備隊(後に関東軍)という中国大陸侵略の橋頭堡を獲得した。そして韓国に対する覇権をもロシアに認めさせた。
遼東半島(関東州)の租借権、南満洲鉄道の権益(「鉄道付属地」の炭鉱の採掘権などを含む)は「十万の英霊、二十億の国幣(こくど)」という莫大な犠牲と引き換えに得たほとんど唯一の戦果であり、以降、日本人は満州という土地に特別な感慨を抱いた。
日清戦争の戦費(国幣(こくど)) 2億2500万円
日露戦争の戦費(国幣(こくど))17億2000万円
(毎日新聞社刊「昭和史」第3巻より)
6)「関東州・南満州鉄道・関東軍を基軸とする満蒙における特殊権益」が侵されると危機感をもった軍部が柳条湖事件を起し、それを口実に東北4省を侵略した。
7)植民地を拡大することが出来ない国際環境から傀儡国家満州国をつくった。
8)満州国を足場に治外法権と租界をもち、列強と共に中国を半植民地的に支配していった。
9)数十万の血で贖った中国大陸から撤退せよという「ハル・ノート」は宣戦布告であると、日本政府は考えた。
【泉鏡花著「予備兵」】より抜粋
明治二十七年七月、牙山の捷報新に到りて、平壌の戦雲いまだ乱れず、義勇兵に対する令いまだ下らざる前なりき、我忠勇烈なる国民は、抜刀隊あるいは義勇団を組織して所々に顔起せるほどに、名古屋第三師団の分宮を置かれたる石川県下金沢にも、決起の輩およそ一百名の同盟より、これらの団体は成立ちり。(略)躍然手に唾して義勇兵を組織し、鴨緑の流鞭絶つべし、支那人(チャンコロ)斬るべし豚尾十条を一束にして、両手に五葉ずつ挙げて帰るべしと、拒腕して気競いつつ、一飛渡韓せんと企つるもの、百余名ぞ頻れける。
【北清事変・北京議定書】
〔中国では辛丑(しんちゆう)和約。欧米では"Boxer Protocol"〕
1901(明治33)年9月7日に北京で調印された義和団事件における列国11ヵ国(ドイツ・オーストリア・ハンガリー・ベルギー・スペイン・アメリカ・フランス・イギリス・イタリア・ロシア・日本)と清国・義和団との戦闘の事後処理に関する最終議定書。日本の外交文書における正式名称は、北清事変に関する最終議定書である。
主な内容は(1)賠償金4億5000万両(2)北京に中国人の居住を認めぬ公使館区域を設定して外国軍隊が駐屯。(3)北京から山海関までの沿線要地における外国の駐兵権を認める。(4)排外的団体に加入することを禁止し、禁を犯すものは死刑。 その後日本は北京周辺の駐兵権を廬溝橋事件など華北侵略のテコとして使った。
日露講和條約
1905(明治38)年9月5日「ポーツマス」ニ於テ記名 10月14日批准
(略)
第二條 露西亞帝國政府ハ日本國カ韓國ニ於テ政事上、軍事上及經濟上ノ卓絶ナル利益ヲ有スルコトヲ承認シ日本帝國政府カ韓國ニ於テ必要ト認ムル指導、保護及監理ノ措置ヲ執ルニ方リ之ヲ阻礙シ又ハ之ニ干渉セザルコトヲ約ス
第五條 露西亞帝國政府ハ清國政府ノ承諾ヲ以テ旅順口、大蓮並其ノ附近ノ領土及領水ノ租借權及該租借權ニ關聯シ又ハ其ノ一部ヲ組成スル一切ノ權利、特權及讓與ヲ日本帝國政府ニ移轉讓渡ス露西亞帝國政府ハ又前記租借權カ其ノ效力ヲ及ホス地域ニ於ケル一切ノ公共營造物及財産ヲ日本帝國政府ニ移轉讓渡ス
第六條 露西亞帝國政府ハ長春(寛城子)旅順口間ノ鐵道及其ノ一切ノ支線並同地方ニ於テ之ニ附屬スル一切ノ權利、特權及財産及同地方ニ於テ該鐵道ニ屬シ又ハ其ノ利益ノ爲メニ經營セラルル一切ノ炭坑ヲ補償ヲ受クルコトナク且清國政府ノ承諾ヲ以テ日本帝國政府ニ移轉讓渡スヘキコトヲ約ス
追加約款
兩締約國ハ滿洲ニ於ケル各自ノ鐵道線路ヲ保護セムカ爲守備兵ヲ置クノ權利ヲ留保ス該守備兵ノ數ハ一「キロメート」ル毎ニ十五名ヲ超過スルコトヲ得ス而シテ日本國及露西亜國軍司令官ハ前記最大數以内ニ於テ實際ノ必要ニ顧ミ之ヲ使用セラルヘキ守備兵ノ數ヲ雙方ノ合意ヲ以テ成ルヘク小數ニ限定スヘシ
(略)
ハル・ノート
〔日米交渉1941年11月26日米側提案11月27日来電〕 (略)
第2項
合衆国政府及び日本国政府の採るべき措置(略)
日本国政府は支那及び印度支那より一切の陸、海、空軍兵力及び警察力を撤収すべし。
合衆国政府及び日本国政府は臨時に首都を重慶に置ける中華民国国民政府以外の支那に於ける如何なる政府、若しくは政権をも軍事的、経済的に支持せざるべし。
両国政府は外国租界及び居留地内及び之に関連せる諸権益並びに1901年の団匪事件(義和団事件の事)議定書に依る諸権利を含む支那に在る一切の治外法権を放棄すべし。
両国政府は外国租界及び居留地に於ける諸権利並びに1901年の団匪事件議定書による諸権利を含む支那に於ける治外法権廃棄方に付き英国政府及び其の外の政府の同意を取り付くべく努力すべし。(略)
【海軍軍令部総長永野修身(おさみ)の発言】
(太平洋戦争開戦当時)
靖国神社後援ドキュメント映画「わたしたちは忘れない」から
『米国の主張に屈すれば亡国は必至とのことだが、戦うもまた亡国であるかも知れぬ。だが、戦わずしての亡国は魂を喪失する民族永遠の亡国であり、最後の一兵まで戦うことによってのみ死中に活を見出し得るであろう。戦ってよし勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残ればわれらの子孫は再起、三起するであろう。』
遊就館展示室「大東亜戦争」
開戦時における日本の国力
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