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「老い」は「負い」となるか 

2016年07月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


左膝が痛くなってほぼ150日が過ぎた。すべては腰から、というアドバイスであのバスタオル巻を始めて146日になる。膝のケアのテニスボールを始めて109日。毎日正座も103日。腰痛予防の運動も53日が経過した。膝は、ほぼ完璧と思ったら、また痛む。昨年4月に傷めた右踵をかばって左膝が痛くなったと考えたが、そればかりではなさそうだ。右足負傷以来さぼっていたストレッチを再開した。それはまだ5日目だけれども、ずいぶん前、ここへ移住してくる前からやり始めたころと同じ状態にもどっていて、身体が硬くなっていることがよくわかる。振りだしに戻ってしまったがストレッチをやると身体が新しく生まれ変わるような気がする。
 
まあ、73歳にもなれば、身体の衰えは当たり前かもしれないが、「老い」を「負い」にしてはならない。老い衰えることと向き合いながら、さまざまな価値観を発見することもある。
論語には有名な言葉がある。
子曰く、われ十有五(じゅうゆうご)にして学に志(こころざ)す、三十にして立つ、
四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(したが)う、
七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)を踰(こ)えず
 
六十になって人の言葉が素直に聞かれ、たとえ自分と違う意見であっても反発しない。七十になると自分の思うままに自由にふるまって、それでいて道を踏み外 さないようになった。ここは、孔子が「老い」を衰退ではなく、逆に人間的完成としてとらえる思想が明らかにされている。まさに、人は老いるほど豊かになる。
 
ストレッチを再開して膝痛の完治を予見したような気がする。
あまり遠くない日に完治の報告ができると確信した。
 
 

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