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敗者の日本史(頼朝、頼家、実朝) 

2016年07月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



源頼朝(平氏を打ち崩し鎌倉幕府を樹立した武士の棟梁)

源頼朝の子供、孫とも相次いで非業の死を遂げ、三代で滅亡
摂家・宮家将軍の誕生で、幕府の実権は執権へ(北条氏の傀儡政権)
興味ある本でしたので、購入しノートとしてブログに記載してます
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆本『敗者の日本史(歴史REAL)』記事参考&引用
 ☆詳細本で確認ください










源氏(ネットより画像引用)

源氏三代滅亡の経緯
鎌倉幕府初代将軍源頼朝は、暗殺?落馬で急死した
跡を継いだ頼朝の嫡男・頼家は、北条氏が定めた合議制に反発
頼家は、北条氏の刺客によって殺害された
三代将軍には、頼朝の四男実朝が就任し、武士として初めて右大臣に任ぜられた
鶴岡八幡宮への拝賀の際に、頼家の二男、三男ともに甥の公暁に暗殺された
鎌倉幕府の源氏将軍は三代で絶えた(実朝に子がいなかった)

北条氏の傀儡政権(頼朝の血族が消えた)
四代将軍は、頼朝の遠縁で、頼朝の血を引く藤原(九条)頼経が京都から迎えられる
頼朝の血を引く男より、摂家将軍の方が、北条氏には好都合だつた
頼朝の子孫はすべて死に絶え、将軍の地位は、摂家将軍からさらに宮将軍へと受け継がれる

摂家将軍
摂関家から迎えられた将軍です
鎌倉幕府第四代将軍・藤原(九条)頼経と、第五代藤原頼嗣の二人のことをいいます

宮将軍
鎌倉幕府将軍に任じられた親王のことです
宗尊親王、惟康新王他2名の親王の四人のことをいいます

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