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徳川家康 IN 駿府 

2016年07月05日 外部ブログ記事
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徳川家康駿府での治世

300年に渡る江戸幕府の礎を築いた徳川家康
生涯の3分の1の期間を過ごした駿府の地の足跡再考
狡猾なイメージのある家康の裏側にあった天下統一の想いとは!?
BS11『せいこうの歴史再考』(私の好きな番組です)番組参考&引用






















徳川家康(『せいこうの歴史再考』番組画面より引用)


徳川家康の遺訓
 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし
 急ぐべからず。
 不自由を常と思えば不足なし
 こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし
 堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え
 勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる
 おのれを責めて人をせむるな
 及ばざるは過ぎたるよりまされり


徳川家康駿府の町作り
駿府で近代城下町作りを実践し、成功例を江戸の町に応用した
城を中心に、武家、商人、寺社を効率的に配置した町作り
駿府の金座に、現在でも日銀静岡支店がある

徳川家康の駿府での文化への貢献
日本で初めて、活版印刷を行った
日本で初めて、火消制度、花火を行った

徳川家康の平和の願い
「自分の命も人の命を大切にする」メッセージ発する
 ☆戦国時代の終焉と、平和社会への重要性の教育
駿府東照宮の入り口の門には司馬温公の話「甕」の少年を掲げる
5人組制度を定め、お互いの争いを避ける社会を目指す

徳川家康年号を変える
元和偃武(げんな えんぶ)
 ☆元和(天下の平定が完了した事を内外に宣した)
 ☆偃武(武器を偃(ふ)せて武器庫に収める事を指している)
幕末に至るまで大規模な軍事衝突が発生しなかった

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