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のびたの日記

地震と私と守護霊と 不思議な体験が続いていた 

2016年06月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



テレビで地震国日本の確率予報が流れていた 予知はまだ出来ないが予測は報告される
改めて 日本はどこへ行っても ここが安全と言う地は無いのだと思う
東京も大地震の怖れの確率は 数年以内に訪れると言う
 

 
私は その時は助からないと思う 今まで大きく護られてきたから あとは運命に委ねる
振り返ると 生かされてきたんだな としみじみ思う
守護霊なんて居るかなと思うけれど 多分 居るかもしれないとも思うのだ
 



 
7年前 添乗員の仕事を終え 家の付近を歩いて居た時である
京葉道路沿いの歩道のそばで ビル解体工事をしており工事の高い塀が数十メートル続く
何気なく その上の方を見上げた 何やらゆらゆら揺れている
 
これは危険 倒れてくる 瞬間で察知して大きなバッグを持ったまま私は走った
歩道の脇は車が頻繁に走っている 片側は塀 前方しか逃げる道は無い
塀の中では 慌てて発している怒声や悲鳴に近いものが聴こえていた
 
通り抜けた瞬間 塀は倒れ長く歩道を覆っていた 
この下敷きになっていたら助からない ほんの数秒のことで気がつかなければ一巻の終わり
一呼吸置いて この不安全に腹が立ってきたが 助かったという幸運の方が勝った
 
この2年後 都内で同じような事故があって 不幸にも亡くなった方が居た
運命とは 不思議だなと感じる 数秒早く歩いて居れば あるいは遅ければ助かった命だ
私は 大地震の都度 ああ 一週間の差が 私を助けているのだと思わずにはいられない
 

 
阪神・淡路の大地震の一週間前 私は青春18キップで この中心地を歩いていた
中華街から異人館へ そして泊まりは 宝塚温泉 また普通列車を乗り継いで帰京する
一週間後 この神戸も宝塚も 悲惨な光景をテレビが伝えていた
 
八戸地震の一週間前 私は無性にどこかへ行きたい衝動に駆られ 新幹線で八戸に行く
ビジネスホテルに宿泊をして 市場に近い店で 海鮮料理を美味しく頂いた
この時は 寄り道も無く帰る そして 翌週 地震の報道に驚いたものである
 
中越地震の時は 私は添乗の仕事で まさしく被災地の中心を案内していた
この時も一週間前である ニュースで流れる被災地は 見て来たばかりの土地である
添乗員同志でツアーの打ち合わせの間 昼食を共にすることがある
 
次はどこへ居のとか 情報交換にもなる場で 楽しい時間になる
私が 東北ツアーへ出かけている時 中越地方へ行っていると心配した仲間から電話
いや 一週間前で 今は東北道を走っているよと伝え 安心させるが運命を感じる
 
それぞれ大きな大災害であり 迂闊に書けないが 地震から私を遠ざけるものがある
守護神かなぁと今でも思う 貧乏神なら居るかもしれないと笑って言える
こんなに訪れた地が一週間後 大地震にあっている 私は生かされていると思うしかない
 
おまけの話をするなら 台湾一周ツアーに行った この3か月後現地の地震の報に接した
東日本大震災の被災地 女川 石巻 高田の松原 気仙沼 何れも添乗で案内して来た
それだけに 景色や地元の方が目に浮かび 復旧・復興を祈る気持ちに溢れる
 
青春18キップで三陸を廻っている時 乗り合わせた男性と列車で話をした
出稼ぎに東京へ出て来て 今は家へ帰るところだよと私に言う
ほら あそこが私の家 被災地である田野畑村の一画を指差した
 
今は どうしているだろう 助かって生きていて欲しい
そして 私は生かされているいのち 残りのいのちを大切に生きていたいものだ
それが うたごえであり ボランティアである 笑顔と元気を送り続ける生涯にしたい
 


 
最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m
 
 



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