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2月18日 自然愛好友の会オフ 鳶尾山・八菅山(2/5) 

2016年03月18日 ナビトモブログ記事
テーマ:自然探訪

[鳶尾山を経て、八菅山いこいの森へ]

小鳶尾山からは50m程の下りになり、途中までは階段道になっている。道端ではヤシャブシとアオキが目立った。ヤシャブシは花芽が黄色く色付き始めていたが、開花にはまだ早かった。アオキは真っ赤な実をたわわに付けているものもあった。下り切ったところはちょっとした平地になっている。道端にコスモスなどの小さな花壇もあったが、この時期は花はない。平地を過ぎると上りになるが、鳶尾山の手前にある小ピークへの上りだ。一昨年、個人で歩いたときは、そのピークの上を通ったが、巻道が作られていることが分かった。今回は巻道を選んだ。斜めに巻き上がる狭い木の根道だが、谷側は金属パイプのガードが付けられていた。この巻道の分岐に案内標識はなかった。巻道を過ぎると小ピークと鳶尾山の間の鞍部に出て、山頂が望める。

鳶尾山の西側は自然林だが、東斜面は樹木が伐採された後に桜の木が植えられている。この時期は裸木で、地面は褐色の枯れ草で覆われていた。標高234.1mの山頂には11時33分に到着した。低山だが、東側は関東平野になるため、一等三角点がある。後で知ったのだが、この一等三角点は日本で最初に設置されたものだそうだ。鳶尾山の山頂は地図上は厚木市内に入っているが、山頂には「桜の名所づくり事業 鳶尾山頂 愛川町」と彫られた大きな石碑があり、脇には10首ほどの歌碑もある。桜の名所づくり事業の解説板によると、愛川町の中津台地上にある大きい工業団地の場所は、昭和の初めまでは桑畑が広がっており、戦時中は陸軍の飛行場で終戦間際には特攻機も飛び立った地とのこと。終戦後は麦畑や花菜畑になっていて、昭和41年(1966年)に神奈川県企業庁により、公害のない緑の工業団地(総面積234万?)の内陸工業団地として竣工して現在に至っているのだそうだ。桜の名所づくり事業は、歴史をじっと見つめてきたこの鳶尾山頂一帯(総面積36万?)を 昭和62年から「鳶尾山(町有林)桜の名所づくり事業」として町が着手、 平成元年から桜の植栽や下草刈りなどを中津鳶尾山組合に委託して現在の鳶尾山になったのだとのことだった。山頂部は緩やかで、ベンチが5,6個ある。裸木の桜の木の間からは愛川町の風景も望めた。ここまでの途中、何人かのハイカーや地元の人らしい人と出会っていたが、山頂で20分ほど休憩したがその間は自分たちだけだった。

鳶尾山の北西に続く道は、幅が広く軽自動車なら通れそうな道で、250m程の間の北東斜面は桜の植林が続いていた。桜の名所づくりが開始されてから50年が経過しているため、傷んでいる木もあるが、日本宝くじ協会や日本さくらの会の支援を受けて平成8年にも多くの苗木が植えられたらしく、それを記念した看板もあった。鳶尾山から450mほど、10分弱で八菅山林道の峠、「やなみ峠(鳶尾峠)」に着く。右に下ると愛川町の八菅山の麓へ出、左に下れば厚木市のまつかげ台団地に出る。鳶尾山から続いている稜線は、まだ北東に伸びているが、そこには「この先、行き止まり、ハイキングコースはありません」の看板が立てられている。尾根は数百メートル先で、山砂利採取のために尾根が切り取られた崖になっているのだ。航空写真でみるとそれが良く分かる。稜線をたどっていた愛川町と厚木市の境界線は、窪地になった場所でうねり、山砂利採取地を過ぎるとまた尾根が僅かにありそれを通るが、更に先はゴルフ場の中に入っている。都市近郊では、ゴルフ場や宅地開発によって、原地形が人工的に大きく変えられてしまっている場所も多い。

やなみ峠から、舗装林道を八菅山の麓に向かって下る。八菅林道は大型車が通れる幅員はなく、ガードレールの代わりに鉄パイプを繋いだガードが付けられている。裸木の間からの日差しが暖かく気持ちが良かった。20分ほどの下りで大沢橋に着く。この間、車との出会いは無かった。橋の先はT字路になっていて、右は沢に添って下り中津川に架かる八菅橋に通じている。左に100mほど上ったところに、「八菅山いこいの森」の「みずとみどりの青空博物館があり、夜間は閉場されるため、分岐にゲートがあった。昼食を摂るため、そちらに向かう。
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写真は、「鳶尾山山頂」と「やなみ峠」



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