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のびたの日記

私は伝えたい 東京大空襲の体験者17人が語る 

2016年03月11日 外部ブログ記事
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あの一夜にして東京を焦土と化し 犠牲者10万人の大空襲は昭和20年3月10日未明
戦地に消えた兵隊も 各地の空襲や 沖縄の陸上戦での犠牲者も膨大な数に上る
しかし 平和である70年後の日本 戦争も知らない世代が多くを占める
 
東京スカイツリーは墨田区の象徴のようにそびえ立ち 全国から大勢の観光客が集まる
あと半月もすれば 隅田公園など ソメイヨシノが咲き誇り花見の方で賑わうだろう
それは平和の姿であって いつまでも続いて欲しいことである
 

 
ただ70年前 敗戦真近のこの日 東京には大空襲があり この一帯は焦土化した
そこには地獄の光景があり 僅かに生き延びた方たちも あまりの悲惨な状況は語れない
戦争は今でも世界に絶えなく こうした惨状を伝え 平和への礎となるよう証人は語る
 
戦争は殺し合いだ 相手を殺戮して降伏するまで 多くの命が失われて行く
それでも最低の戦争ルールは有った ハーグ国際陸戦条約である
捕虜の人権 細菌など毒性兵器禁止 民間人への殺戮禁止など その他があった
 
しかしアメリカは それらを無視して大虐殺とも言える空襲 そして原爆投下をした
何もアメリカだけでは無い 平和条約を結んでいたロシアも北方領土を占領した
戦争になれば こうした最低のルールは 簡単に破られ瞬時に人々は抹殺される
 

 
17人の語り部は そんな一人一人が出来る空襲体験を語り平和を呼び掛ける
それは一つの映画となり 昨日 焦土の中心の本所地域プラザで上映された
じゅうたん爆撃で 廻りを囲みながら細部を焼夷弾が容赦なく焼き焦がしていく
 


 
よくぞ生きて来られたものだ それは後のこの日まで悲劇を伝え平和をという使命か
いずこも火災 竜巻のような炎の流れ 崩れ落ち燃える家々 逃げまどう人々
背中に負う子どもはすでに息絶えている 力尽きて行き場を失って川に飛び込む
 

 
どこも累々と続く焼死体 川を埋め尽くす遺体 身内を呼び合う悲痛な声
皆さんが苦しそうに語る 本当は想い出したくない叫びでもある
会場に居る方たちも 同世代が多く 同じく この地域で体験された方も多い
 


 
挨拶で立たれた館長も 自らのその日を短く語る
翌日でも道路に横たわり 壁に姿を留める人の影 ごめんねと言って跨いで通る
遺体は上野公園や隅田公園 錦糸公園 そして多くの寺で仮埋葬して焼いた
 
今では桜の名所で 多くの方が集まる場所である
身元でさえ分かるはずが無い どこかで亡くなった肉親を偲び 位牌だけは作る
こうした方々の慰霊堂が この近くにあり 空襲の記録なども展示されている
 

 
当時を偲び すいとんを食べる時間が設けられていた
私たちが戦後良く食べた 母のすいとん それよりも肉が入り具も多く美味しい
すみだのうたごえ講座の仲間も何人か見られ 語り部にも おひとり出ていた
 
 
 
 
     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m
 
 
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