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岡本太郎氏《太陽の塔》《芸術派爆発だ!》 

2016年03月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



芸実家を超越した岡本太郎氏

絵画・立体作品を制作した芸術家&マルチタレントです
雑誌やテレビなどのメディアにも積極的に出演し、片岡鶴太郎さんを生み出しました
表参道にある『岡本太郎記念館』を散策しました、表参道裏に入ると洒落た町並みでした
NHK『知恵泉』で岡本太郎さんを放送、放送内容参考&引用
























岡本太郎(NHK知恵泉他より引用)

岡本太郎少年時代
父一平は"漫画漫文"という独自のスタイルで人気を博す(「宰相の名は知らぬが、岡本一平なら知っている」と言われた)
父は、収入のほとんどを使ってしまうほどの放蕩ぶりでした
母かの子は、若いころから文学に熱中し、家政や子育てが全く出来ない人物でした
母かの子は、敬慕者で愛人を、一平公認で自宅に住まわせていた
太郎は、小学校に入学するもなじめず一学期で退学し、学校を変えて、入転校を繰り返した
慶應義塾幼稚舎では、太郎の成績はビリの52番、ひとつ上51番は、歌手の藤山一郎さんでした
画家になる事に迷いながらも、東京美術学校へ進学した

岡本太郎滞仏生活とピカソの衝撃
父一平が朝日新聞の特派員として渡仏、太郎も東京美術学校を休学し渡欧
ポール=ローザンベール画廊で、ピカソの作品を見て、太郎は強い衝撃を受ける
この時の感動を著書『青春ピカソ』で「私は抽象画から絵の道を求めた」と記載している

}岡本太郎の戦後
帰国後、滞欧作《傷ましき腕》などを二科展に出品して受賞、個展も開く
「絵画の石器時代は終わった。新しい芸術は岡本太郎から始まる」と宣言、日本美術界に挑戦状を叩きつけた
東京国立博物館で、縄文火焔土器を見て衝撃を受ける
美術雑誌『みずゑ』に「四次元との対話―縄文土器論」を発表
この事により、日本美術史は縄文時代から語られるようになった

岡本太郎《太陽の塔》作成
大阪で万国博覧会が開催されることになり、国は、プロデューサーを岡本太郎に依頼した
太郎は承諾すると「とにかくべらぼうなものを作ってやる」とひたすら構想を練った
出来上がったのが、総高70Mの《太陽の塔》です
万博終了後も《太陽の塔》は永久保存が決定、現在も大阪のシンボルとして愛されている

岡本太郎マルチタレントとして活躍
テレビ放送草創期、バラエティ番組やクイズ番組などに多数出演
日本テレビバラエティ番組『鶴太郎のテレもんじゃ』にレギュラー出演
「芸術は爆発だ」「何だ、これは」と叫びながら現れる演出が人気を博し流行語にもなった
共演した片岡鶴太郎の芸術家としての才能を見出している

岡本太郎の人物像
恋愛観(プレイボーイとしても名を馳せ、徹底したフェミニスト・ロマンティストです)
スポーツ(野球、スキー愛好家としても知られ、三浦雄一郎から賞賛される程の腕前でした)
ピアノ(ピアノの腕前はプロ級と言われており、その演奏はほとんどが暗譜でした)

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