メニュー

老いてなお

声優 

2016年01月25日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

声優(Cool Japan)を見て。
*アニメーション学院で.........
声優になりたい若者が急増中。
年間一万人以上が入学をスタジオでは先生が台本を持った生徒にサ行の発音、アクセントの練習を行ってた。

先生が“しっかりと口を開けないと舌が滑らかに動かない、滑舌が一番大事”
  ”聞き取り易い、滑らかな発音”

アニメのアフレコの授業でアニメの画面を見ながら、男女五人がそれぞれのキャラクターの台本を片手に台詞を一個のマイクに2〜3人が交互に入れ替わりながら声を吹き込むのでその立ち位置の実習。
*二年かけて呼吸法、発音、演技を習う。
*最近は陰であった声優も人前にでるのが当たり前に、歌も踊りもできるタレント声優を目指してる。
若い女性のアニメ声優達が結集して立ち上げたミューズは紅白にも出場した。

*昔は陰の存在であった声優がアイドル化したのは1990年代から盛んになった。

*最近は声優の仕事も広がってきた、対話自販機、家電、ATM トイレやカーナビ、スマホ用アプリはお気に入りの声優の声を選べる。

カーナビには96ページ、台詞も1000以上情報+おしゃべりも。

ある外国人の言葉“日本に来たときは、風呂、自販機、トイレなどなどのおしゃべりに五月蝿いと感じたが五年過ぎて自分の国へ帰ったら、あまり静で淋しくなった”と言ってた。
一種のカルチャーショック?

ドラエモン 大山のぶ代、 ルパン三世 山田康男 

トム・クルーズ 森川智之 アーノルド・シュワルツネッガー 玄田哲章
シルベスター・スタローン ささきいさお アラン・ドロン 野沢那智

歴史的には、日本の映画会社がTV局を敵視して、映画を提供しなくなったために、米国のTVドラマを買ってきて放映するようになって「アテレコ」という仕事と「声優」という職業が生じたのが始まり。

1980年代まではアテレコやアフレコは、舞台俳優の余技もしくはアルバイトであった。

1925年3月、NHKの前身である社団法人東京放送局がラジオ放送を開始。サイレント映画をラジオで台詞劇として放送された、声は新劇俳優が勤めたのが日本初の声優?であった。

この当時、新聞では「ラヂオ役者」と呼称していた。(Wikipedia)

“当時、サイレント映画は無声活動写真と言い、映画館のスクリーンの前の舞台の袖で椅子に腰掛けた人間(活動弁士と言われた)が台詞を読み上げたり状況を話してた”



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR

上部へ