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池部良に学ぶ 

2016年01月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し
















2010年に92歳で亡くなった映画俳優・池部良は、名エッセイストとしても知られている。銀幕のスターであるよりも「東京生まれの男」を貫いた彼の単行本未収録の遺稿集
「江戸っ子の倅(せがれ)」を中古本で手に入れた。
 
日本には、60歳の還暦から始まり年齢の節目には長寿を祝う行事が多くあるが、池部良は冒頭のエッセイで、60歳まで生きたからと言って、人生50年の時代ならいざ知らず、今日60歳の大方はビビッドに暮らしている。古稀は「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」(酒のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。しかし、七十年生きる人は古くから稀である)に由来するそうだ。喜寿は、「喜」の字を草書体で書くと「十七」の上に「七」が付いたような文字で「七十七」に見えることから、77歳を喜寿と呼ぶようになった。また傘寿は、傘の略字が八十と読めるから八十歳のお祝いに当てている。
科学的でもなければ納得できる由来にも欠ける。
そして卒寿も九十という漢字を縦書きにすると卆となり、この卆が卒の略字であったことから90歳を卒寿と呼ぶようになったという、これも喜寿や傘寿と変わりはないが、さすがに90ともなると、よくぞここまでという気もしないではない、と語っている。
 
現代では、90歳を迎えた卒寿こそ長寿というにふさわしい年齢といえるかもしれない。
池部良はこれといった健康法はないといいながらも、好き嫌いなしに何でも、それなりに美味しいと思って食べる。可能な限り身体と心を清潔にしておく、感情という神経は楽しく使う、ということを心掛けていたという。
 
私には卒寿はまだまだ先のことだが、今書いている小説の主人公・浅間爽太は、奇しくも亡くなった池部良と同じ年齢92歳に設定されている。さて、92歳からどんな生き様を見せるのか、まだぜんぜん考えていないが、何でもおいしく食べる、身体と心を清潔に、感情という神経は楽しく使う、という三点セットのうち「感情という神経は楽しく使う」は、爽太の特徴の一つにしたい。
 
 
 

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