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江戸時代の庶民の海外旅行 

2016年01月11日 外部ブログ記事
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お蔭参り(江戸時代盛んになった伊勢神宮への集団参詣)

名前の由来は、奉公人などが主人に無断で、参詣したことからです
大金を持たなくても、信心の旅というこで、沿道の施しを受けることができました
江戸からは、片道15日間、大坂から5日間、名古屋から3日間必要です














お蔭参り(ネットより引用)

伊勢神宮お陰参りが盛んになった背景
伊勢神宮は、天照大神の神社として、公家・寺家・武家が加持祈祷を行っていた
中世の戦乱の影響で、領地を荒らされ、式年遷宮が行えないほど荒廃していた
伊勢神宮を建て直すため、祭司を執り行っていた御師は、豊受大御神を広める活動を全国展開
農民に、伊勢神宮へ参詣してもらうように暦を配るなどして、各地へ布教した
江戸時代以降は、五街道中心に交通網が発達し、参詣が以前より容易となった

お蔭参りの目的
巡礼の目的は、来世の救済から現世利益に、観光の目的も含むようになった
江戸時代、庶民の移動は、厳しい制限があったが、伊勢神宮参詣は許される風潮でした
天照大神は商売繁盛の守り神で、奉公人の伊勢神宮参詣の旅を主人は、拒否しにくかった
伊勢神宮参詣は、多くの庶民にとり一生に一度とも言える大きな夢であった

お伊勢講発生の要因
庶民にとって、伊勢までの旅費は相当な負担でした
各地区で「講」を作り、くじ引きを行い「講」の代表者が、伊勢へ旅立ちしていた
「お伊勢講」は畿内では、室町中期から見られたが、全国的になったのは江戸以降です

御師の活躍
御師が、産業の大神である豊受大御神を、農民に広めたのが、お蔭参りのきっかけです
御師は、各地に散らばり、農村部で伊勢暦を配ったり、豊作祈願を行ったりした

お蔭参りが普及した要因
江戸時代、農民の移動に規制があり、それなりの理由が必要でした
その口実として伊勢神宮参詣という名目が使われるようになった
伊勢神宮参詣を目的とする旅についてはほぼ無条件で通行手形を発行してもらえた
御師は、伊勢参拝に来る人をもてなすため、自分の家で宿屋を経営していた
御師は、伊勢神宮や伊勢観光のガイドも勤め、伊勢の名所や歓楽街を案内して回った
江戸時代中頃、農家も知識、見聞、物品を求めて旅する人が増えた

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