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昨日は,墓参り$サッカー 

2011年01月04日 外部ブログ記事
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★2011年の正月も、もう3日も経ったのか、という感じである。
月日の経つのは本当に早いものである。
1月2日は父の命日である。
昭和26年、(1951)、私は高校3年生17歳の時である。それからもう60年も経った。
若し父が、この年この時期に亡くならなかったら、私は大学に行っていなかった。すでに就職先も決まっていた。
大学に行ってどのくらい成長したのか、それは解らないが、学歴がモノを言う社会だから、大学に行ったお陰で人生は、順調だったことは間違いない。
私のために、父は正月の2日に、この世を去って行ったのではないかと思う。 それから?ヶ月ちょっとの受験勉強だった。
 
★そんなことで、正月のこの時期は必ず墓参に行く。
今年は息子が来ていたので、一緒に連れて行った。

明石の天文科学館のすぐ下にある長寿院は明石松平藩の菩提寺という由緒あるお寺である。

画家橋本関雪の父、書家の海関先生の墓もある。 海関に書を習い、関雪に絵を習ったと言うのが父の自慢であった。
2年ほど病床にいたが、亡くなる前日、元旦は機嫌がよくて、書を書いたりしたのに翌日ぽっくりと亡くなってしまった。
息子は今鎌倉にいる。
遠い将来、お寺や、墓はどうなってしまうのかな? と思ったりする。
 
★帰りに明石で、寿司でもと思っていたのだが、
滝川二高と青森山田の高校サッカーを見ようと、寿司を食わずに真っ直ぐ戻ってきた。
結果は滝二が優勝候補の青森山田を2−0で破ってベストエイトに駒を進めた。
 
いいゲームだったが、滝川二高も強くなったものである。もうすでに名門滝二と言っていいだろう。
滝川高校から分かれて、滝川二高がスタートしたのは息子が中学2年生の時のことである。
最初のサッカー部の監督は、三木の人で、緑が丘中学の息子の1年上の先輩が1期生で入部したのでよく覚えている。
その後、当時は神戸FCのコーチをしていた、黒田さんが監督になってからめきめき強くなったと思う。
 
★息子が子供のころから、サッカーをしたおかげで、サッカーに興味を持った。
まだヤンマーが強くて、釜本やネルソン吉村、阿部などが現役だった。
でも、その頃に比べたら、今のサッカー界は高校もプロもすごいなと思う。
世界のレベルでも十分通用する様に思うが、今やっているサッカー特集で、選手たちはまだまだだと言う。
テレビでは、日本のサッカー50年を3時から8時までにわたって特集しているのである。
50年は解らぬが、35年くらいなら、解っているつもりだが、所詮は素人でのレベルだろう。
日本代表は、今晩アジアカップに向かって出発した。
この日本代表は、また一歩進歩したと思う。
 
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