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南京事件 雑感 

2015年10月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



★ 1937年に起きたとされる「南京事件」については、その名前だけは何度も聞いたがその内容については、一切知らなかった。
1937年といえば、私は4歳のころだから、何もわからなくて当然ではある。
それを、なぜ取り上げたかというと、Yahoo の意識調査に取り上げられたからである。
 
   
 
  その結果は、圧倒的にユネスコへの『資金拠出をやめるべき』に集中している。
 
以下は、本件に関する記述で、どれも結構長文だが、一応は目を通してみた。
  変質するユネスコ、「南京事件登録」の大問題
   http://toyokeizai.net/articles/-/88488?page=4
  海外でも話題に! 海外の反応。
   http://blog.livedoor.jp/zzcj/archives/51892539.html
  なぜユネスコを恫喝するのか
          http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/101500015/?P=5
     
 
 読んでみての感想だが、中国はなぜこんなことを今の時期にするのであろうか?
具体的には、日本の対応もムツカシイとは思うが、こんな対応をするユネスコに、「拠出金など出さなくていい」と思うのは、素人の率直な感想だと思う。
総合的には、政府が判断して対応することになるのだろう。
 
★南京事件 そのものについて、一切知らなかったので、Wikipedia で調べてみた。
以下が冒頭に並んだ文章である。
南京事件ではなく、『南京攻略戦』とある。
 
南京攻略戦
1937年8月9日から始まった第二次上海事変の戦闘に敗れた中国軍は撤退を始め、逃げる行きずりに「堅壁清野作戦」と称して、民家に押し入り、めぼしいものを略奪したうえで火を放ち、当時、中華民国の首都であった南京を中心として防衛線(複郭陣地)を構築し、抗戦する構えを見せた。日本軍は、撤退する中国軍の追撃を始めたが、兵站が整わない、多分に無理のある進撃であった。蒋介石は12月7日に南京を脱出し、後を任された唐生智も12月12日に逃亡した。その際、兵を逃げられないようにトーチカの床に鎖で足を縛りつけ、長江への逃げ道になる南京城の挹江門には仲間を撃つことを躊躇しない督戦隊を置いていった 。中国軍の複郭陣地を次々と突破した日本軍は、12月9日には南京城を包囲し、翌日正午を期限とする投降勧告を行った。中国軍がこの投降勧告に応じなかったため、日本軍は12月10日より総攻撃を開始。12月13日、南京は陥落した。
 
これを読む限りにおいては、意図的に虐殺したのではなくて、『これは戦争』だったのである。
日本がたまたま負けたので、20万人、30万人の大虐殺などと言われているのだが、『広島、長崎の原爆投下』も、『東京大空襲』も『沖縄戦』も、大虐殺に間違いない。
『南京事件』がいいとは言わぬが、戦後70年も経って、改めてユネスコに申請する中国の意図は、『政治的利用』以外の何物でもないと思うし、それを取り上げる『ユネスコ』にも何らかの『政治的意図』を感じずにはいられない。
 

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