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神峯山寺(高槻市) 

2015年08月30日 外部ブログ記事
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神峯山寺(かぶさんじ)、天台宗の仏教寺院

日本で最初に毘沙門天が安置された霊場、本尊である毘沙門天、双身毘沙門天、兜跋毘沙門天は秘仏です
BSフジ(古都浪漫の心寺社巡り)より引用






神峯山寺(ネットより引用)

神峯山の歴史
開山の祖、役小角(役行者)、中興の祖開成皇子の像が境内に安置されています
七高山と称された修験霊場の一角で、修験者が使用した、道や滝、葛城山遥拝所を示す石標などがあります
神峯山の参道入口には石造の鳥居、仁王門前には狛犬、神仏混淆の仏教寺院です

開山の伝承(山岳信仰)
役小角が、北方の山から黄金の光の霊感を受け、神峯山寺に位置する場所にやってきた
役小角は、その場所に、伽藍を建立し毘沙門天を祀ったことが起源
修験霊場として名高い比叡山、比良山、伊吹山、愛宕山、金峯山、葛城山に並ぶ七高山の一角として大いに栄えた
一帯の峯を総称する神峯山は、龍のご神体として信仰されています
現在も、修験道を志す修験者が寺領で修行しています

平安時代(阿弥陀信仰)
光仁天皇の子息で開成皇子が、勝尾寺から入山し、光仁天皇の命により、本堂を創建、住職となる
神峯山寺は、天台宗仏教寺院となり、皇室に緊密な天台宗寺院となり、幕末まで続いていました
融通念仏宗の源流が、良忍により神峯山寺で伝播し、阿弥陀信仰が根付いた地域です
摂津役人輔元と子息は、良忍の弟子となり神峯山寺の住職を継いだ
阿弥陀如来は、現在も本堂に安置されており、融通念仏宗とも交流があります

鎌倉時代以降
楠木正成が奉納し殿中刀は現在も神峯山寺本堂に所蔵されています
室町幕府三代将軍、豊臣秀頼の生母淀殿らによる寄進されました
毘沙門天が戦いの神として崇拝されたことに起因しています

江戸時代
大坂商人から厚い信仰を受け巡礼地として栄えました
毘沙門天が七福神の一神で、商売繁盛を祈願するために商人達が参拝しました
豪商の鴻池も巡拝し、神峯山寺参道に石造の道標を建立した

本尊
神峯山寺の本尊は3種の毘沙門天で構成されている
第一の本尊、毘沙門天(皇室や幕府は、国家安泰の神として厚く信仰した)(子授安産、家庭安穏の御仏としても利益)
第二の本尊、兜跋毘沙門天(福徳先勝の神、商売繁盛の神として大坂商人からも厚い信仰を受けた)
第三の本尊、双身毘沙門天(歴代住職の持仏として本堂中内陣の厨子に安置される)

神峯山寺の毘沙門信仰は、時代の変遷によって内容が異なる
平安期以降では、皇室より国家安泰の勅願所
鎌倉末期では、福徳先勝を祈願する武将達の信仰の対象
江戸時代では、大坂商人による商売繁盛祈願の巡礼地
現代では、福徳先勝より合格祈願の祈願所として、大学受験者が参拝

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