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昭和2年生まれの航海日誌

原爆投下の前提必要条件 

2015年08月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


 広島は6日、”70回目の原爆の日”を迎えた。
 16歳のとき、新型爆弾が広島に投下されたのをラジオで
知った。
 思い出してみよう。毎日新聞の「余禄」を写し書いてみた。
 今日言うと、間の抜けた話だが、8月8日には長崎に2度

目の新型爆弾(原爆)が投下されいるのである。

 幻想とも現実ともつかぬ話のようだが、と控えめに述べられ
ていたが、3月10日 東京大空襲で煙と火炎を避けながら、
隅田川と思う方向に逃げた友人、鹿児島で弟の手引いて、
防空壕に入る瞬間、焼夷弾が弟の腰部を粉砕した、朱に染
まって即死、肉片を顔で受けた。たった今まで生きていたの
だ。

 そんな話を聞くと、「余禄」の幻想は胸を貫き、真実である
と信じて疑われない。


 原爆投下の必要が論議されるが、それより、原爆を投下する
ことの是非に論議の重点を置くべきだったのではないか。
 なんのことはない、
 「原爆を日本に投下するまでは、降伏しても戦いをやめるな!」
これが、スローガンだったのである。

 原爆を投下された日本は戦いを続行する限り、敵地へ原爆を
投下することは許されるのだ。
 「リプライザルの法理」である。

 先の大戦で使われた”毒ガス”も同じこと、使用ができる。
 難しいことを考える必要はない全くない。
 戦争を勝つためには何をしてもよいことになっている。

 一世を風靡したあの名優 チャプリン、
 「人を殺すと殺人犯だ!でも、戦争で人を殺すと英雄となる」
けだし、名言ではある。
  

 真実で、遠慮しなかった彼をアメリカは追放してしまった。
 アメリカの良心は一体どこへやら。

 命の安売りをする日本人、阿倍の工作にまんまと嵌め込め
られてしまった。

 広島市長の平和宣言では「安保関連法案」については言及
しないことになっていたが、ヤジは飛んだ。

 オリンピックの建設が始められると、ポンコツ元総理が私腹を
肥やさんがため、せせり出てきた。
 かかる輩には22口径の必要性があるかどうかを検討して
みたい。政治家に甘すぎる日本人、このあたりで我に帰る
ことだなあ。
 かなり激し発言だが、消費税だけを外国と比較されても、
納得はゆかない。他のことでもつり合いをとってもらおう。
 これこそ必要があるかどうかをここで確めてもらいたい。
どっこいどっこいである、と思っている...

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