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Jii−Jiiの日記

今を生きずに いつを生きる ここを生きずに どこを生きる   大神 信章 『学仏大悲心』より 

2015年08月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「法話解説}
時間というのは、過去→現在→未来という流れるようなものではなく、過去も未来も包んだ現在(「今ここ」)という時間である。ということを聞いてきましたが、そのことがはっきりと感覚できずにいました。何がそのことをわかりにくくさせているのか。そんな時、たまたま読み返そうと思い手に取った『安田理深講義集』の中の一文が目に留まったのです。一度読んでいるはずの、その時気づかなかった文章は、今の時代と社会の真っ只中に生きている私を言い当てている箇所でした。

もし、この言葉どおりの「今ここ」だけを考え生きるならば、これまでのさまざまな過ちを繰り返すのではないでしょうか。現に、過去と未来を見失って経済、経済と推し進めてきた結果、いのちが生きられない大地を作ってしまったのが、あの福島第一原発の事故だったのでしょう。それはただ単に政府や電力会社だけの問題ではなく、資本主義にどっぷり浸かった私たちが、過去、未来、現在のいのちを見失っていたという問題です。悲しいことではありますが、原発の事故によって過去が過ぎ去ったものではなく、そして未来が現在の先にあるものでもなく、過去も未来も現在そのものという、流れるような時間ではないということがようやくわかったように思います。

「ボクなりの解釈」
時間を過去・現在。未来と区別するのではなく、「今ここに」が過去・現代・未来を包含する「今がある」と言っているように思えました。

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