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独りディナー
カフェ・グロリエッテ
2015年07月30日
テーマ:思い出すままに
すっかり、娘の友人のブログ愛読者になった私は、彼の記事に載っていた、ウィーンの「 Cafe Gloriette 」のホームページにアクセスしてみた。
私がプロフィールの写真にも載せている「シェーンブルン宮殿」の、庭園の高台に聳えている建築物である。
一般名詞としては、何といえばよいのだろう。
私が今まで見たどのガイドブックにも、丘の上にはグロリエッテが建っている、としか表現されていなかったし。
ホームページでも、それは「temple of groly 栄光の殿堂」という意味だという説明のみであった。
でも、英和辞典をよく見るとtemple という単語は、「切り離された場所、が原義」とある。
そうか、グロリエッテとは、「栄光の別宮」とでもいう意味だったのか・・。いわば、アネックスとでも言うべきかもしれない。
遠くから見ると、小ぶりな宮殿のようにも見えるし、近くから見ると凱旋の建物のようにも思える、左右対称の建造物である。
私が留学していた1970年代には、遠くからは威風堂々と見える佇まいながら、近づくと大きな石造りの吹きっさらしの建物で、当時は広い庭園を上まで登ってくる人もあまりいなかった。
若かった私はよく友人と、そこの手すりに寄りかかって、ウィーンの街の遠景とはるか下に広がるシェーンブルン宮殿をを眺めながら、長い間音楽談義を交わしていたものだ。
だから、子育てが一段落して、主人と初めて一緒にそこを訪れた私は、吹きっさらしだった壁にガラスを張り巡らせて、素敵なカフェに変貌していたのを見て、吃驚してしまった。
その前に、市立公園に中にある観光スポット、ヴァイオリンを弾いているヨハン・シュトラウスの銅像が、いつの間にか金ぴかにメッキされたのを見たのと同じくらい、吃驚したものだ。
何となく、落ち着いて静かな古都だったウィーンが、どんどん観光都市としてキラキラしていく様な気がして、ちょっと嘆いてさえもいたのだ。
ところが、今回「グロリエッテ」のホームページで、由来を読んでみると、マリア・テレジアの時代に建てられた「栄光の別宮」は、壁がガラスで覆われていて、ディナーや祝祭のパーティなどに使われていたそうである。
更に、シシーの夫君、フランツ・ヨーゼフ皇帝は、朝食をとる部屋としても、其処を使用していたとか。
現在カフェ・グロリエッテでは、「シシーの朝食」という名のメニューもあって、皇帝時代の朝食が供せられるらしい。
シシーは生前、堅苦しい宮廷生活を嫌って、殆どウィーンには居なかったらしいから、きっと絶大な人気の皇妃の名前だけ戴いたものだろうと推測されるけど。
その栄光はハプスブルグ王朝が続くまで続いていたらしいが、空襲に遭って建物の半分が破壊され、1950年に再建されたそうだ。
最終的には1995年に、以前の様にガラスで囲まれた現在の状態に、修復されたのだという。
何と、私の知っている、吹きっさらしの、懐かしい「グロリエッテ」は、本当に短い間の暫定的な状態だったのだ。
歴史は、色々奥が深いなあ・・。
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