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雑感日記
昭和36年(1961)入院生活、そして退院、単車営業に。
2010年12月03日
テーマ:テーマ無し
★昭和36年28歳である。
この時期まだ日本で肺結核は、広く一般的な病で、この病気で入院療養する人たちも多かった。
そんな肺結核に大学2年のころから掛っていて、殆ど療養らしきこともせずにずっと野球などやっていたら、肺浸潤から肺結核、さらにはそれに空洞まで出来てしまっていた。
何とかなるかと放っていたのだが、35年の秋に会社の診療所の先生にいわれて、その治療に入院することになったのである。
入院をするとなると、1年以上の療養は覚悟せねばならず、当時空洞のある人たちは手術をすることが普通であったので、それも覚悟しての入院であった。
★肺結核は別にどこが痛むでもなく、栄養を取って安静にして、マイシンの注射をするぐらいのことだから、ずっと終日ベッドに寝ていなければならぬような退屈な療養生活ではないのである。
ちゃんと自由時間もあって、兵庫県三田市の高台のいい環境、いい自然、いい空気の中で、楽しく過ごした1年であった。
『楽しく??』 と思われるかも知らぬが、直ぐ環境に適応して誰とでも仲良くなれる性格が幸いしたのだろうと思う。
10月末に入院したのだが、最初にビックリしたのは、毎日と言っていいほど松茸が食べれるのである。
松茸山の真ん中にあるような立地で、松茸が『幾らでも』採れるようなのである。 所謂松茸泥棒みたいなものだが、当時はまだそんなことも、それほど厳しく言われていなくて、先輩たちがどこからか取ってくる松茸を焼いて食うことから療養生活は始まった。
そこらあたりに池もいっぱいあって、春からは初夏にかけては、毎日のように釣りをしていた。それも鮒でも鯉でも、ビックリするほどよく釣れるのである。
軽い運動は自由だし散歩もできたし、バドミントンなどもここで覚えて結構うまくなった。
時間があるから工作をする人もいて、一時木工のオルゴール造りなどにも熱中した。いまでも家には当時の作品が残っている。殊のほか上手に出来ているのは、そんな先生がいたからである。
碁も打ったし、本もいっぱい読んだ。
こんな生活が楽しくない人は、どこでどのように暮らしても、『楽しくない』人だと本当にそう思って、見舞に来た人に『楽しい』などと言ったら不思議な顔をされたものである。
★肝心の病気療養の方は、級ごとに日課が決められていて1時から3時の安静時間以外は自由なのである。
マイシンの注射を打つ日だけは体がほてったり自覚症状があるのだが、後は定期的な診察ぐらいのものである。
春の断層写真で、経過良好手術の必要なし、夏の断層写真で、年内退院OKとの診断が出て、療養と言っても気分的には希望に満ちた?療養生活だったのである。
そんあ順調な焼く1年の療養生活で、この年の12月10日に退院したのである。
不思議なくらいに良くなって、何年も抱えていた空洞は消えてしまって、77歳の今まで何の「問題も起こっていない。
結果的に良かったのは勿論だし、 いろんな意味で「運がよかった」のだと思う。
財産課でのIBMプロジェクトも一応完成して、結婚も決めねばならぬ一番いい時期に、1年間休ませてもらって、それが後の人生にも最高にうまく繋がったと信じているのである。
★入院生活の中で、いろんな新しい経験もあった。
この療養所は当時の川崎グループのもので川重、川車、川航の人たちが、部長、課長、などの職位には関係なく全く同じような団体生活の場なのだが、こんなところにまで職位を持ち込みたがる人もいるのである。
そういう点では、川航の人たちはエライさんも圧倒的に人気があった。3社の中では川航はそんな自由な社風だったのかたまたまそこにいた人がそうだったのか?
『年上の人には敬意を、同年輩にはざっくばらんに、年下の人たちには努めて面倒をみる』という運動部で身に付いた生き方は、個々の療養生活でも大いに役立ったと思っている。
本人は至って気楽に過ごしていたのだが、ずっと心配をしてくれていた人もいる。
母がそうであったろうし、ずっと付き合っていた家内もそうだったと思う。
この1年間があったから、手紙というものを普通の人の書く一生分以上のモノを書いたと思うし、受け取ったりしている。
これは、こんなことがなかったら、『なかった経験』だから貴重だと思っている。
退院したら、結婚しようと決めたのも、ここでの生活の時であった。
★退院の目途が立って復職は、古巣の財産課でないことは、秋口から聞いていた。 企画管理部門か勤労などといううわさも入ってきた。
それが最終、新しく事業を始めた二輪車担当の『発動機営業課単車掛』に決まった。まだ単車は職制上は掛しかなかったのである。
この1年間の入院がなかったら、単車の方に異動できたかどうかは解らない。
12月10日に退院をして、12月16日に新しい職場に出社している。
この年はほんの半月だけだったのだが、当時の川崎の国内販売はこんな状況だったのである。
発動機営業部の部長、次長、課長さんは、かっての業務部の方たちがみんな移って来られていて、みんな知っている方たちばかりであった。新しい事業を何とか進めようと言う会社の意志みたいなモノは感じられた。
ただ、現実のカワサキ単車は125ccB7の時代で誠に厳しい状態であった。
12月16日、北沢課長に言われた最初の指示は 『物品税を調べてくれ』だったのである。
営業はモノを売るところだとばかり思っていたのだが、その時点ではB7のクレームによる返却対策が一番難しい問題だったのである。毎日毎日全国から明石工場に返却されるのである。翌年の1月にはとうとう成算がマイナスになった。
生産台数より返却される台数の方が多いのである。125cc以上は当時は物品税の課税対象で、物品税の支払いは至って簡単なのだが、いったん収めた税金の戻入は、いろんな規定や条件があって簡単ではないのである。毎日証税務署の担当者の立会検査などがあって、それが営業の主力業務のような状態だったのである。一番苦手な法律などの難しい文書を呼んで勉強したりした。
たった2週間ではあったが、その間8時40分神戸駅発の寝台急行銀河で、入社以来初めての東京出張も経験した。当時の東京出張の定番であった。
カワサキ自動車販売という会社が、東京神田岩本町に事務所を構えていた。そこに挨拶に行って、いわゆる営業の社内接待にもあずかったのである。
それが私の二輪事業のスタートであった。
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