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久々の録音機いじり 

2015年05月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「96歳の遺言 戦争だけはやっちゃダメ」朗読のYouTubeはこちらからご覧いただけます。

戦争未亡人、久米?(くめけい)さんの生涯の叫びを、皆様で聴いて下さい。

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これまで苦手と思い込んでいた、小さなレコーダー、ネットで取り説を読み始めて、何が苦手だったのかな〜と思っています。

あの時は久米?さんに会える日が迫っていて、1日2日では飲み込めなかったため、うんざりしてしまったようです。

いま思えば、レコーダーが間に合わなかったのは、何様かの意思だったかも。
久米?さんの声を録音できていたら、私は2ヶ月で書き上げることは到底できなかった。録音から文章を起こすのは大変時間のかかる作業で、終戦記念日にも間に合わせられなかったでしょう。
メモと記憶で、自分の文章にしてしまったから、7月に発表できて、イラストレーターの木村さんの目に止まり、お?さんがまだちゃんと話せた8月5日に紹介出来たのです。間に合って良かった。

私は20代半ばで、ハンセン病療養所の盲人会の方々と知り合って、声を送り始めました。初めは「お正月の新聞を読んで欲しい」と頼まれたのですが、新聞小説を読んだり、世間話を挟んだり、自由な声の便りを送るには、自分の録音機が必要でした。
7インチリールのオープンテープレコーダーはバスガールの給料の三分のニぐらい高価なものでした。
故障すると、修理代を安く上げたくて、確か五反田から坂を登った辺りのSONYまで重たい機械を担いで行ったものです。
大きなマイクも買わなければならないし、それでも自分のおしゃべりを、喜んで聞いてもらえるのが嬉しくて、頑張っていました。テープまでは買えなくて、NHKの使い古しのつぎはぎだらけのテープを頂いて来て、切れれば、白いテープで繋いで、大事に使いました。
いま、語りが好きなのは、当時の経験が有ったからでしょう。

そのテープレコーダーは何しろオープンリールだから解りやすくて、素人にも簡単に使えました。
その後カセットテープになった時は、小さくなってしかも安くなって、びっくりしたものです。
カセットテープも難しい事は何にも無くて、便利でした。
療養所盲人会への「茶の間の声」は、20年以上続きました。家庭の事情が朗読録音を許さなくなって、図書館にテープ図書が増えて、私が一人で頑張る必要もなくなり、録音機を買うお金も無いまま盲人会とのおつきあいは遠のきました。

朗読のチャンスもなくなり、図書館では、布の絵本作りを手伝っていました。

そして、語りを始めましたが、録音機の必要性をさほど感じないまま8年目になりました。

これからは、語りの稽古も録音しようと思います。







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