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ZRX1200S城

陸奥記念館  周防大島 

2015年04月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

陸奥記念館  周防大島

昭和18年(1943)6月8日陸奥は広島湾沖柱島泊地に停泊中、三番砲塔付近から突然に煙を噴きあげて爆発を起こし、一瞬のうちに船体が2つに折れ艦前部は右舷に傾斜し沈没しました。


爆発の原因は未だに謎でスパイの破壊工作、弾薬の自然発火、人為的なものとして乗員のいじめによる自殺や一下士官による放火などが挙げられています




          陸奥之碑
           碑文
日月 天より落ちて国敗れ 戦艦 謎を秘めて 海に没す
不可思議の 導きかなや英霊は み艦にこもり 此れに沈もる
七星報国 陸奥の碑哀し 柱の空に 北斗綺鑼めく





陸奥は姉妹艦「長門」より1年遅れた大八七年(1917)6月1日横須賀海軍工廠にて起工され大正九年(1918)5月31日に進水

長門とともに世界のビッグ7(世界の七大戦艦)の1隻と云われました。


  方向約3km 
 ここより3km先に陸奥が沈んでいます         






           感銘碑


予科練甲飛第十一期練習生と教官130名余が艦務実習で陸奥に乗艦していて被災しました。




          若鷲の碑






海底より引き上げられた陸奥のスクリュー、副砲、艦首が展示されています。


             スクリュー











                                   艦首



端にもう一基副砲






         陸奥記念館


            陸奥 碇


戦艦陸奥(以下,陸奥)は、1943年(昭和18年)6月8日、連合艦隊司令部付として柱島水道(周防大島伊保田沖)警泊中に、
不慮の大爆発を起こし沈没。総員1471人、うち死者1121人、
生存者わずか350人という大惨事に見舞われた。
戦後1947年(昭和22年)に初の引き揚げが試みられたが、
海底42mでの作業は困難を極め、間もなく中止。
そして1970年(昭和45年)6月遺族や生存者らの20年越しの熱意が実り、引き揚げ作業が再会。8年間にも及ぶ作業の末、乗組員の遺骨・遺品・主砲など艦体の75%が引き揚げられた。

陸奥記念館はこの引き揚げによって回収された物品をはじめ、全国から寄せられた遺品・資料の展示・保存に努め、これにより陸奥と共に逝った乗組員の冥福を祈り、戦争の悲惨さを後世に伝え、恒久に平和を願うものです。

陸奥模型 改装前               

大改装後


館内

陸奥引き上げの様子

沈没状況見取図


沈没位置測定図




記念館前の海

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