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独りディナー
筋金入りの息子
2015年03月11日
テーマ:思い出すままに
我が家の子供たちは、幼い頃から父親を尊敬して育った。
つまり、母親の私が、そう育てた訳であるが・・。
大体一日の大半を共に過ごしていた母親にとって、このシチュエーションは結構、楽であった。
「お父さんに、聞いてごらんなさい」というのが、私の逃げ口上。
主人は、ちょっと日本人離れした風貌なので、子供やお気楽な女房から見ると、「かっこいい、お父さん」に見えなくもなかった
結果は、当然。
自分たちの良い処は、幸運なことにお父さんから譲り受け、欠点は残念ながらお母さんに似てしまったのだ、という家庭内での評価・・。
その勢いで、私は余り深く考えることも無く、只ピアノを弾きながら今日まで生きてきた様な処がある。
子供たちが、小学生の頃、一年間カナダに住んでいた時。
全く言葉のわからない社会にポンと放り込まれた子供たちは、それぞれの性格なりに、学校生活を送っていた。
或るとき息子が、「こっちの人の目の色はね、お昼まで灰色だったのが、ランチの後には緑色になってたりするんだ」と言っていた。
多分、曇りだったお天気が、午後になって晴れ上がったのだろう。
私は、面白い経験をしているなあ、と思ったけれど。
主人は、「言葉がわからないから、毎日、そんなところを観察してるんだなあ・・」といった、優しい感想であった。
眺めるだけで時間を過ごしていた息子にとって、クラスの女の子の可愛さは感動的だったらしい。
たしかに、スクールバスから降りてくる、色とりどりのスノージャケットを着た、寒さの中で赤いほっぺのブロンド娘たちは、絵の様に可愛らしかった。
それを見た私は、すぐ次の週末に、我が家の娘の為に綺麗なピンク色のスノージャケットを買い求めたものだった。
その頃の息子は、大人になったら、カナダに再び来て、こちらの女の子と結婚するんだ、と心に決めた様だった。
西洋志向の強い母親にも、子供の頃の他愛ない思い出がある。
「秘密の花園」に、ジッコンという名の男の子がでてくるのだが。
「毎日空ばかり見上げて大きくなったから、あんなに目が青いのだ」、という描写があった。
私も、毎日青空を見ていたら、ブルーの目になるかしらと思い、秋の運動会の練習の日に、いつもグランドで青空を見上げていたのは、何年生位の頃だったろう。
日本に戻ってきて暫くたったある日。
父親と一緒にお風呂に入っていた息子が、「お父さんは、どうしてお母さんと結婚したの?」と訊いたそうである。
「お父さんが、もしアメリカ人と結婚していたら、僕ハーフになれたのに・・」
さすがに西洋志向の強い母親に育てられた息子は、筋金入りであった。
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生理的な現象だったのですね
ハイビスカスさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
「目の色が変わる」というのは、生理的現象が現れているのですね。私はてっきり、海や湖の色の様に、太陽のせいかとおもっていました。
ハーフの人も、その日によって日本人風が強い日と外人風の強い日があって、何故かなあと思っていました。やはり生理的に何か変化があるのかしら・・。
2015/03/13 12:01:03
ハイビスカス
こんにちは〜
いつも楽しく読ませて頂いており、ありがとうございます〜
さて今日は シシーマニアさんの
エッセイを読んで、以前、”日本語の表現の素晴らしさ”を感じたのを思い出しました。
それは、”眼の色が変わる”という言い方ですが、日本人の目の色は 深いこげ茶なので 目の色が変わるのはあまりよくわかりませんよね。でも 感激したり 欲しい物を目にした時 この表現しますでしょ?
実はブルーの瞳って気分や体の調子で色が変わるのが良くわかります。つまり感情の激しい時は血の流れが良くなるので青が強くなり、疲れていたり眠くなると灰色っぽい青になります。
だから この日本の表現は理に会っているので、ほんの少しの変化を見逃さず、感情の表現を表す言い方を作り出してすごいなぁと思ったわけです。
また、お味噌を自分で作ってみて、”糞味噌”という表現を思い出し 一人で笑っちゃいました、、、
あ、失礼しました、、、、
2015/03/13 10:41:46
FEN
吾喰楽さん、おはようございます。
コメントありがとうございます。
シニアナビに参加したお蔭で、メル友ができた気分を味わっています。
私は子供の頃は地方都市に住んでいましたので、今まで外人さんを何人見たことがある、と友達と競ったりしていました。西洋志向はその頃から強かったようですが。
進駐軍が私達に遺していってくれた文化は、かなりありますよね。
食生活もそうですし、ジャズなどは特にそうでしょうね。
在京中は、ラジオでFEN放送を聞くのが習慣になっていました。余り解りませんが・・。
歌舞伎の次に寂しいかな・・。
2015/03/12 09:22:41
こんばんは!
皆さんのブログを拝見する一番の楽しみは、自分の知らない世界を覗き見られることです。
クラッシック音楽には、無縁の世界で育ちました。
海外旅行は3回行っていますが、海外生活とは程遠いです。
今回のブログも、興味深く読むことができました。
私は子どもの頃、外国の人を見ると、全てアメリカ人と思っていました。
父は、戦後の一時期、進駐軍で働いていました。
時々、店では買えない、チョコレートやサンドイッチを土産に持って来ました。
その味を、今でも覚えていますよ。
美味しかった〜
2015/03/11 18:58:26
ブログ記念日
師匠、コメントありがとうございます。
楽しかったですか。こんなに嬉しい事はありません。
世のしがらみは多々ありますが、笑い飛ばせるなら、笑って過ごしたいと思っています。
でも最近は、成人した子供達にまで「落ち着きなさい!」と連発されていますけれど。
「楽しいと言ってもらえて三月の○○日はブログ記念日」
今日の日にちを、数字ではとても書けませんね。
2015/03/11 18:27:25
日本を向いて、暮らしました
彩々さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
西洋志向の強い私が、たまたま欧米に縁のある人生が送れたのは、ラッキーでした。
それぞれ、自分を取り巻く環境が異なっていたので、色々楽しい経験もしました。
でも、常に日本を向いて暮らしていたのも事実です。
2015/03/11 18:21:45
思い出すままに
こんにちは
今日のテーマがイイじゃないですか!?
思い出の中にウイーンやアメリカ、カナダでの
生活がおありだったことが、出てくるなんて。
まだまだ特別な時代だったと思いますのに…。
子供にとって、青い目、緑の目を持つ自分と
違った国の人との接点がある環境であることが、
既に将来に向けた学びであり、素晴らしい教育
環境におられましたね。
何処で暮らしていても、子供の眼で考える
ことって、やっぱり素直で可愛いですね。
私が「思い出すままに…」と書き出しても
出てこないシチュエーションです(泣)
2015/03/11 14:38:45
一家に一台(人?)
SOYOKAZEさん、こんにちは
このブログは、息子が10歳位の頃の思い出です。
息子にも色々変遷がありました。
変わらないのは、よく笑わせてくれる事位かな。
娘に「一家に一台」と揶揄される位、ムードメーカーです。
お嫁さんは、普通に可愛い同胞です。
2015/03/11 13:55:01
なーるほど・・・
楽しいです。
家族の皆さんの、特異な体験、そして観察、
そこから導き出されたところの、特異な結論。
私には、シシーマニア家の皆さんすべてが、
タダモノでないように思われます。
読者を楽しくさせる。
それはエッセイとして、一つの成功であるわけでして。
続編を期待する由縁であります。
2015/03/11 12:11:47
息子さんのお嫁さんは?
こんにちは。
西洋志向の高い息子さん、お嫁さんは、青い目の方ですか?
西洋では、逆に、いつまでも若い日本女性が人気と聞きましたが。
皆、自分に無い物に憧れるのでしょうか?
因みに、私はかなりのデカ目なので、切れ長一重のお醤油顔が好みです。
2015/03/11 11:57:37