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昭和2年生まれの航海日誌

消え残る村の飲兵衛たち(2) 

2015年01月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


 在所だと、それは、新開の“安部 嘉一”になるだろうな。
 年はまだ40そこそこだったが、
「俺は新開の安部 嘉一、酒は飲みたし、金はなし」で
大人ばかりか子供にもその酒好きは知れ渡っていた。

 支那事変が勃発した昭和12年はワシは小4年であった。
 今日、村に「ガソリン消防ポンプ」が来るというので、近くの
小川に走った。
 ここで試運転が行われる。
 これを見逃せては、明日学校で話相手から外される。

 「ガソリン消防ポンプ」と云っても今の消防自動車ではない。
 人力で移動する車に自動ポンプが備えられたものだ。
 でも、腕用ポンプしかなかった在所ではどえらく嬉しかった。

 嘉一さんもいたいた。
 消防車引く時、どうしたものか、
「こう押すんだ!」と叫んだとおもうが、
それより早く、平手で、若者の頭を叩いていた。

 殴られた、血気盛んな若者が黙っているわけはない。
 忽ち反攻、嘉一さんは吹っ飛ばされてしまった。

 見ている子供たちにとっては、こりゃチョトした余興で
あった。
 この程度ことはあってほしいと、野次馬根性は当時から
芽生えていたかもしれん。

 吹っ飛ばされた嘉一さん、立ち上がると、悪びれた様子も
なく、自分も車を押していた。

 なーに、一杯飲んででよく話せば分かることだ。
 俺もここぞ、と思う時には誰も遠慮はしないぞ、
 若い奴には反撃されたが、
先制攻撃は俺からやったものだ。
 これでよし。

 嘉一さんの家、そんなに裕福でもないと思うのだけれど、
何時からあんな酒飲みになったのだろうか。

 勇名を馳せたが、陰口を告げる人はいなかった。
 列伝の一人に挙げておきたい。
 

 

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