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昭和2年生まれの航海日誌

消え残る村の飲兵衛たち 

2015年01月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


 松の内が明け弟がひょこりやって来た。

 「おお、一杯やるか」と云ってはみても、相手は下戸で
である。

 鍋物にしたかったが、カキは、”的矢のカキ”が今好評で、

伊勢の者には勧められるものではない。
それなら、すき焼きと、切り替えた。

 徳利の酒は少しずつ鍋に入れては雑談を始めた。

 「酒飲みで思い出になる在所の人は誰かいなあ」
 「そりゃ、七海の勝っあんだ」

 何時か、魚見の井出から転げ落ちて、鼻に川藻が詰ま
り、、往生している時の話を母が聞いて、笑い込んで
居たことを想い出すなあ。

 ワシは勝っあんの武勇伝をは知ってるぞ」
 勝っあんはあの体格だから、甲種合格の兵隊で、歩兵
33連隊で2年の兵役を務めてきた。

 除隊してから、ある日のこと松阪の酒屋で一杯やっていた。
 どうした成り行きか、地元の若い衆に殴られたらしい。
 
 血気盛んな勝っあんもその場納めたが、承知できない。
 一足先に出て、割木を懐にいれ出てくるのを待ち伏せた。

 出てくるなり一撃をくらわした。
 相手は何か叫ぶが、ウンもスンもあるものかと追撃した。

 やっと、腹の虫が治まり、1里ばかりの夜道を帰ってきた。

 家に着き、酔いも醒めてくると、報復を心配せずにはおら
れなかった。

 枕元に、斧をおいて、就床した。
 サムライではないか。

 でも、彼は終生曲がったことはしなかったばかりか、子供を
愛し、常に弱者の味方であった。

 次に登場させる飲兵衛は誰にしようか。
あの五寸釘の寅吉が、裏の道を歩いていた頃の話である。

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