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独りディナー
従弟の家族
2015年01月06日
テーマ:思い出すままに
従弟のお通夜に参加した身内は、叔母と従妹と本人の奥さん、それに私の四人だけだった。
奥さんの親族は数人いらしたが、それは極めて簡素な集まりだった。
基本的に無宗教で、中央の従弟の写真の周りには、白い胡蝶蘭の花が一面に埋め尽くされる様にして並んでいた。
それは、照れ屋だけど本物を好む、従弟を見送るにふさわしい場に思えた。
献花の時は、シューマンの「トロイメライ」がBGMで流れていたが、その列もすぐに終わった。
従弟の家は、血縁の薄い家族だった。妹は生物を研究していて、同じ分野の先輩と結婚したけれど、20代の終わりにご主人に先立たれ、その後はずっと一人で研究を続けていた。
この従妹は、女性には稀に見るユーモア溢れる人物で、又、時を改めて彼女の追悼は書きたいと思う。
義叔父は、定年退職して数年後に病死していたが、叔母の住む家が従妹の研究所に比較的近かった事もあり、母と娘の二人が「世にも楽しい未亡人たち」と叔母が豪語する程に、気楽な生活を送っていた様子だった。
従弟は、大手の出版社に勤めていたが、その会社で新聞種になる様な騒動が起きて、労働組合の会長名として、従弟の名前を紙上で目にした位だったから、色々中で苦労があったのだろう。
50代になった頃だったか、会社を早期退職したと、叔母から聞いた。
バブルの頃だったのだろうか、社員の株を売却した結果、その後は悠々自適の生活を送っていたらしい。
お通夜の席で、私が先に退出しようとすると、喪主である従弟の奥さんが「今日は、皆で家に泊まっていきませんか?」と誘ってくれた。
母と妹と配偶者で過ごすお通夜に参加するのは憚れたのだが「三人だけだと、かえって悲しくなるから・・」と言われて、お言葉に甘えた。
その夜は、「まだ、飲みかけの瓶があるので、少しお相手してくれない?」といって、奥さんは焼酎のボトルとグラスを二つ持ってきてくれた。
酒豪だった筈の叔母と従妹は、その夜のお通夜の席ではノンアルコールのビールを注ぎ、体調は思わしくない様子であったから・・。
無口でシャイな従弟との馴れ初めを訊いてみると、「聞いてくれる・・?」という感じで、彼女は話し始めた。
バーで初めて出会った時に、名詞をくれたのだとか。それでも、私は「あの従弟が・・?」と、驚くのに。
彼女は、早速翌日だったか、「近くを通ったので・・」と会社に電話したという。
従弟にとっても、さぞサプライズだっただろう。
初めて約束して会った日、伊勢丹デパートで人形展をしていたのだとか。
彼女は、絵を描いたり刺繍をしたり、という手芸関連の仕事をしている人なので、一緒にその展示場へ行ったらしい。
その中に、とても気に入った大きなお人形があったそうで、横で見ていた従弟が「そんなに気に入ったなら」と、即座にそれをプレゼントしてくれたのだそうだ。
翌日の告別式は、叔母の血圧が異常にあがってしまい、私も付き合って二人は葬儀には参加せず、従弟のうちで留守居をした。
二人で、よもやま話をしながら時を過ごし、楽しかった思い出に興じて気が付けば、いつものように一緒に大笑いまでしているうちに、従妹と奥さんが戻ってきた。
玄関で出迎えると、奥さんは「あっ、○○子さん、(と私の名前を呼び)ちょっと受け取って・・」と言いながら、大切な、今は白い箱に収まってしまったご主人を手渡してくれたのだった。
それはきっと、ご主人が生前仲良くしていたのに告別式には参加できなかった従姉に対する、彼女の思いやりだったのだろうと思う。
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