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雑感日記

12月8日に思う 

2014年12月09日 外部ブログ記事
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★昨日は12月8日だった。
1941年12月8日(昭和16年12月8日) 未だ小学生だったが、朝鮮京城で
"我が帝國陸海軍は本8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり"  と言うニュースを聞いたのをよく覚えている。
真珠湾攻撃により、日米戦争が始まったその日なのである。
 
 
       
 
その後4年間の戦争を経て、昭和20年8月15日、終戦となった。
その4年間の戦時中は、朝鮮京城は何の問題もない平和な小学校時代の4年間を過ごした。 終戦の年は中学1年生になっていた。
戦後、この大東亜戦争は、 即侵略戦争と位置付けられているのだが、昨日、ふと『12月8日』と検索したら、こんな文章がいくつも出てきたのである。
 
この戦争で伯父、叔父、叔母の3人を亡くした。 
生まれた家も戦災で焼けてしまった。 ただただ 『侵略戦争の犠牲になった』 というだけでは、やりきれない想いもある。
全面、肯定するほどの自信もないが、肯定できるところも多々あるように思うのである。
 
そんな文章の概略をご紹介するので、目を通して見て欲しい。
 
こう言う意見が、あってもいいと思う。
 
記憶せよ、12月8日"我が帝國陸海軍は本8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり" 1941年12月8日は、米・ルーズベルトが喜びに沸いた日であり、英・チャーチルが勝利を確信した日でした。ルーズベルトは大戦への参加を熱望しており、この日の日本の真珠湾攻撃により参戦理由ができました。先制攻撃を待ち望んでいたのです。チャーチルは、ヨーロッパ戦線でアメリカの助勢を得られることで対ドイツ戦の勝利を確信しました。 しかし予想に反して日本軍は善戦し、インドネシアからオランダ人をあっさりと追い出し、インド洋のイギリスの不沈戦艦をゼロ戦で沈めるなど、東南アジアの欧米の植民地を全て解放しました。その後の日本軍の劣勢、敗戦にも関わらず、一度独立したアジアは再度の欧米の支配を許しませんでした。アメリカはフィリピンを失い、イギリスは香港以外の植民地を全て失いました。日本がアジアの歴史を変えたのは明らかでした。
 
それは次のマハティール首相の演説でも明らかです。 『もし日本なかりせば』  
日本は、その高い技術とエネルギーを、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。質を落とすことなくコストを削減することに成功し、かつては贅沢品だったものを誰でも利用できるようにしたのは日本人である。もし日本戦わざれば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していただろう。南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工業国家の誕生もありえなかっただろう。日本との競争がなければ、開発途上国への投資はなかった。もし日本なかりせば(もし日本戦わざれば)、世界は全く違う様相を呈していただろう。富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。明治維新が成立することによって、欧米流の世界史的なメカニズムが壊れた。いかに衝撃であったにせよ、日露戦争は、ヨーロッパから見れば、むこうの端でなんかやっているというぐらいであった。ただ、これまでに、あれほどの大艦隊が、あっというまに消えてしまうということはなかったので、日露戦争はやっぱり世界的な衝撃であったはずである。そのことにより、20世紀は完全な白人支配の世紀となったろう。それが、日本が出てきたためにそうはいかなくなった。日清戦争、日露戦争に日本が大きな勝利を収めて以降、白人の植民地はひとつも増えていない。だから、あの時点で、事実上、白人の植民地時代は終わったといえる。
 
もう一つ同じ論調だが、こんなのもあった。日本は、この12月8日こそ、国旗を掲げお祝いすべきです。日本人が大いに誇る日です。この日の未明、ハワイオアフ島の真珠湾にあった米海軍太平洋艦隊基地および、マレー半島への上陸作戦が開始されています。日本による侵略戦争」という言葉も、不適切です。日本が戦った相手国は、どこの国でしょうか。 日本はアメリカもイギリスも、一度も侵略していません。ハワイは、開戦当時は、米国の州ではありません。ハワイが米国の50番めの州になったのは、昭和34(1959)年8月21日のことです。開戦当時のハワイは米国が力によって強引にハワイ王室を廃絶させた自治領でしたが、人口の半分は日本人でした。そのハワイ、オアフ島に、米国は海軍基地を作りましたが、日本が行った攻撃は、その海軍基地に対してだけのものです。
 
当時のハワイがアメリカの州ではなかった ということは、昨日初めて知った。
以下の記述について、もしその通りなら、日本の明治以降の日本人たちは、まさに立派だな と思うのである。
 
そもそも、です。江戸時代の終わり頃、欧米列強は地球の陸地の35%を支配していました。その欧米支配の脅威に対して、国論をまっ二つにしながらも、多くの血まで流して国をまとめ、統一的近代国家を形成するために大変革を行ったのが明治維新です。その日本が立ち上がったからこそ、世界から植民地支配が一掃されるという動きになったというのは、歴史が示す通りです。ところが第一次世界大戦が始まるころには、欧米の支配地域は約84%にまで拡大していました。その第一次世界大戦に勝利した日本は、大戦の戦後処理を行うパリ講和会議で、国際連盟の結成に際し、
その連盟憲章の第一条に「人種の平等」を入れるべし、と提案しました。この時代、そんなことを言い出したのは、日本だけです。この提案は、は米英によって拒否されるけれど、この時点で間違いなく日本は、世界の被支配諸国の民衆にとっての大きな希望となっていたのです。そしてこのことは、同時に日本が、明らかな植民地支配国からみた敵国となったことを意味しました。方や世界の84%を支配する大国群です。方やまだまだ貧しい国でしかなかった東亜の一国です。日本は、全身血まみれになりながらも、必死の戦いをしました。その結果、世界から植民地が一掃され、それだけでなく、日本という国も民族もしっかりと保持されました。
それが大東亜戦争であり、その結果です。
 
大東亜戦争が侵略戦争であったのか、正義の戦いであったのかは、後世の歴史がそれを証明するのだろう。
そんな時代の真ん中で、生きられたことを心から幸せに思っている。

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