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独りディナー
シシー
2014年12月01日
テーマ:ウィーン
遠い昔、まだ私が音楽学生だった頃。
ヨーロッパで音楽修行をする為に、希望に燃えて一人で横浜を出発し、ロシアを経由して、ウィーンへと旅立った40数年前。
9月の始めだというのに、既に寒々としたモスクワの町を後にして、行き着いた目的地ウィーンの街並みは、初秋の明るさに輝いて、まるで若かった私を勇気づけてくれるかの様であった。まだ1ドルが360円の時代で、日本人も珍しかったらしく、道を歩いていると、知らないおばあさんに「こんにちは。まあ、遠くからはるばる勉強に来たの?シナからかい?」などと、親しげに声をかけられたものだ。
ウィーンに着いてまだひと月も経たない頃。受講クラスの手続きをしに学校へ行って、階段ですれ違った相手は思いがけなく、東京の同じ大学で見覚えのある人だった。それまで話もした事がなかったのに、見知った顔の人というだけでこみ上げる懐かしさは、同朋の絆と呼ぶべきなのか・・。
取り留めもなく話をしているうちに、その人は自分の住む下宿の近くに、凄い宮殿があるんだと教えてくれた。今の様にガイドブックが出回っているわけではない時代だったので、ウィーンと言っても、ウィーンフィルとオペラ座位しか知識のなかった私にとって、宮殿という響きだけでも魅惑的なものがあった。
校舎から外に出ると、その日はたまたま素晴らしいお天気で、そのまま私は当然の様に、彼の下宿方面へと向かう電車に一緒に乗り込んだ。降りた駅には、「シェーンブルン」という名の看板がかかっていた。
何の予備知識もなくぶらぶらと歩いて行って、小さな門を通り抜けると、突然目の前に広がったのは、美しく壮大な宮殿で、その偉大なる存在感は、私はを圧倒した。
マリア・テレジア女帝にちなんで、テレジアン・イエローと呼ばれるその建物の色は、渋く落ち着いた黄色で、乾燥した空気のせいかどこまでも透明で真っ青な空に、その色合いはいかにもよく調和していた。まさに、文化は風土と共に発展するのだろう。
宮殿の中に入って、数人の見学者と共にガイドさんの説明を聞いた。7歳だったモーツァルトが、御前演奏をした時の絵もあった。滑って転んだモーツァルトが、助け起こしてくれた王女様のマリー・アントワネットに、「将来、僕のお嫁さんにしてあげますよ」、と言ったとかいうエピソードを、ガイドさんはわざわざ私に向かって「まだ、7歳のモーツァルトよ!」と指を立てて強調した。私が音楽留学生だというのは、一目瞭然だったのだろう。
説明が続くうちに、フランツ・ヨーゼフ皇帝とエリザベート皇后という名が頻繁に出てきて耳に残った。その時突然、私は子供のころに見たドイツ映画「プリンセス・シシー」の事を思い出したのだ。たしかあれは、ウィーンの宮廷が舞台で、主人公はエリザベート皇后だったし、皇帝はフランツと呼ばれていたではないか。
勇気を出して私は、「エリザベート皇后は、子供の頃シシーという名だったのですか?」と聞いてみたのだ。すると、そのガイドのおばさんは、若かった私にそっと近寄って、「シシーはね、エリザベートのニックネームなのよ」と、子供に語りかける様に言ったのだ。
それは、独りぼっちだった私が、ウィーンの街に一歩近づいた瞬間だった。
翌日から、シシー関連の本等を買い集めて、すっかりシシー・ファンになったのは、言うまでもない
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