メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

箏、三絃の古曲に尺八は要らない? 

2014年05月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「教えて!」のコーナーに「尺八ばかり優遇されるのはなぜ?」
という質問がありました。内容は、タイトルとは多少意味が違って、

「尺八は、独特の“間”や、“当たり”“かすれた音”などの
ノイズ(雑音)が特徴で、本曲などの独奏曲は良いが、箏・三絃との
合奏では、その特長が邪魔になり、押し殺して演奏するくらいなら
無い方がいいではないか」という意見でした。

私も実は同感です。その前に「尺八家は優遇されている?」と
いう声に、私なりに思うことがあります。

明治以降、虚無僧が禁止され、尺八家の多くが、箏や三絃との合奏に
活路を見出し、それぞれ流派を確立してきました。

名人と云われた琴古流の「三世・荒木古童」などは、門弟に
元大名や華族、政財界の大物が多く、都山流の開祖「中尾都山」に
しても 企業の社長クラスに絶大な支持を得ていましたので、
昔の尺八家は、箏や三味線のお師匠さんのパトロン的存在でした。

ですから、社会的には、箏、三絃の師匠より優位に立って、
いばっていました。その傾向は、現代にも少し引きずっています。

でも、威張っている反面、技術的には、音程もリズムも合わない、
およそ音楽とはいえない低レベルの尺八家が多いのも事実です。


そして、やたら強く吹いて、音量ばかり自慢する人も多くいます。
質問者様が「尺八は音量の調整ができないから、箏や三絃の繊細な
表現をぶちこわす」と言っているのも、よくわかります。

かく言う私も、若い時はそうでした。やたら大きな音を出して、
妻(宮城会・大師範)に何度も注意されたのですが、全く聞く
耳を持ちませんでした。それが離婚の一つの理由でもあります。


最近は、地歌・筝曲の古典には 尺八無しの演奏が多くなった
気がします。私も「三曲合奏」の仕事はほとんど無くなりました。
仕事は「本曲」などの独奏中心です。

以前 NHK・FMラジオ「邦楽のひととき」で「梶田昌艶」先生の
『千鳥の曲』の尺八伴奏を務めさせていただいた時は、「横笛」の
ように、細く長く伸ばす節付けで、注目されました。

「何流ですか?」「あの譜面をください」との問い合わせを
何件かいただきました。

宮田耕八朗師も言っていました。「尺八が箏や三絃と全く同じ
旋律をユニゾンで吹くなんて おかしい。そんな音楽、世界中
どこにあるか!」と。

我が師「堀井小二朗」師も言ってました。「尺八は尺八家に
よって滅びる。音程もリズムも悪い。音色も汚い。それで
音ばかり大きい。嫌われて当然」と。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ