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平成の虚無僧一路の日記

市川猿翁『私の履歴書』 2 

2014年02月05日 外部ブログ記事
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日系新聞 2/5 文化欄「私の履歴書」市川猿翁 ? 

「市川猿翁(前代「猿之助」)」氏が慶応中等部時代の
話が書かれていました。
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中等部時代は慶応の10年で一番楽しかった。一年の担任は
「ワンマン」の加藤さん。この学校は「○○先生」と呼ばず、
「○○さん」で呼ぶ。2年3年の担任は「西村さん。私が
「長兵衛」とあだ名をつけた。
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そうなのです、慶応では「福沢諭吉先生」だけが「先生」で、
塾生はすべて先輩後輩の仲。大学教授でも公には「○○君、
○○さん」。それは「福沢諭吉先生」がオランダ語も英語も
独学で学んだことから、「他人から学ぶのは恥」という精神に
よるもの。だから慶応には「教える教師=先生」はいない
のです。

私も、一年の担任は「加藤一男」さん。「一男」だから
「ワンマン」。国語は「西村長兵衛」さんで、あだなは
「ちょーべー」。

歌舞伎観賞会の時、『お染め久松』で「猿之助(当時)」が
「綱町のちょうべえ、あれも丁稚」と、ことさらゆっくり
大きな声を張り上げた。あの時は、中等部の生徒だけが、
どっと笑い声をあげ、他のお客さんは「??」だった。

また『梶原平三、誉れの石切』では、事前に鑑賞の手引きが
あり、「六郎太夫が“斬り手も斬り手”とほめ、梶原が
“剣も剣”と賛える場面があり、その後で、間髪入れず、
客席から「役者も役者」と声が掛かる。まちがっても
「役者はだいこん」と言わないように」と教わっていた。

それで、その場面がくると一瞬 息詰まる間。客席から
「役者も役者」との声が挙がらなかったので、中等部生は
大爆笑。

あの鑑賞会で、歌舞伎とは「堅苦しい古典芸能ではなく、
観客とともに楽しむもの」と教わったのでした。

さて、「猿翁」は慶応高校のことも書いている。「私は
授業中止の交渉役で、しょっちゅう、授業を中止させた」と。
さらに、「大きな声ではいえないが」と悪ふざけの実態も
書いています。

そう、勉強は“自学自習”の精神ですから、授業は
しょっちゅう「○○さんお休み」でした。それでも
私のクラスからは、東大に進学したのが二人。
数人が医学部に進み、 医者になっています。
そうそう、オウムの「林郁男」も、妻の「芦田りら」も
そうでした。


そして役者は「猿翁」だけでなく、市川右近。
タレントでは 二谷友里恵、菊池麻衣子。宝塚の陵あきの。
テニスの松岡修造。ピアニストの中村紘子さん、
バイオリニストの千住真理子さんも中等部出身。

小学校では“神童”といわれた私は、慶応では“落ちこぼれ”。
でも、「世界でオンリーワン、ナンバー1の虚無僧でござる。
ま、ユニークな人材を多く出しているのも中等部の校風です。

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