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平成の虚無僧一路の日記

市川猿翁「私の履歴書」 

2014年02月03日 外部ブログ記事
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日経新聞 2/1 文化欄「私の履歴書」に
「二代目 市川猿翁」が登場。

「猿翁」は本名「喜熨斗 政彦(きのし まさひこ)」。
1939年(昭和14年)生まれ。49年間にわたって「三代目
市川 猿之助」として活躍。

1968年(昭和43年)『義経千本桜』「四ノ切」で披露した
「宙乗り」を皮切りに、“ケレン”の演出を試み、注目を
集めたが、他の歌舞伎役者や評論家たちからは、相手に
されないほどの酷評を受けた。

二代目尾上松緑に至っては、猿之助歌舞伎のことを「喜熨斗
サーカス」とまで言い、揶揄している。木下大サーカスと
猿之助の本名の「喜熨斗」(きのし)にひっかけたもの。

さて、その「猿翁」。日経新聞で次のように書いている。

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23歳で「三代目猿之助」を襲名した直後、祖父・初代
市川猿翁(二代目市川猿之助)と 父・三代目市川段四郎が
相次いで亡くなった。肉親の後ろ盾を失うと、役がつかなくなり、
芸を教わることもままならない。しかし、屈してなるものか。
闘いは、私の生き方そのものとなった。

「宙乗り」や「早替わり」で観客をあっと言わせる私の演出は、
“ケレン”“邪道”とみなされたが、歌舞伎は本来そういうもの
だったのだ。

観客は驚き、興行は大当たり。が、先輩たちは容赦ない言葉を
浴びせた。「サーカスみたい」だとか「猿の犬かき」だとか。
しかし、逆境になればなるほど燃えるのが私の性分。

天を飛び、地にもぐり、生きかわり死にかわるケレンの輝きを
取り戻したい。“異端児”と評された私は、正統の“かぶき者”
だと思っている。

こんなふうに歌舞伎を客観的に見られるのは、普通の人と同じ
ように学校に行ったからだろう。歌舞伎役者で大学に進んだのは
私が初めてだった。

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拍手

「猿翁」は、慶応の先輩。慶応中等部では、特別授業で
「歌舞伎鑑賞会」があり、「猿之助」の芝居を観に行った。
その前に国語の授業で解説があり、また、幕間に「猿之助」
から後輩の私たちへの挨拶もあった。世話物では「綱町の
長兵衛、あれも(で)エッチ(丁稚)」というアドリブが
あり、多いに笑わせてくれた。「綱町」は中等部の所在地。
そして「長兵衛」は 国語の先生のアダ名だった。(慶応では
「○○先生」などとは呼ばない。先生もあだ名で呼んでいた)。

「猿翁」の弟の「四代目・段四郎」は、慶応の1年先輩。
慶応高校で、私が「歌舞伎研究会」を立ち上げた時、
お世話になった。

さて、私も反骨精神旺盛。「虚無僧尺八界の異端児だが、
私こそ“正統”の虚無僧」だと自負している。

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