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「こやんぴ」のぶらりお散歩ブログ
星野山無量寿寺 中院、南院、そして喜多院
2013年12月02日
テーマ:徒然なるままに
川越市内に用事があり、出かけてきました。
用事先で一時間ほど待たされることになったので、久しぶりに、駆け足のお寺巡りをしてきました。
川越には、有名な喜多院の外に、島崎藤村にも縁のある中院があります。
中院は、元々、東叡山無量寿寺の三院である南院、中院、北院(喜多院)の中で最も大きなお寺だったようです。
(南院は衰微し、今は「跡」が残るのみです。)
東の比叡山という意味の山号だったのですから、天台宗の中でも重要な寺院だったわけです。
(寛永寺ができて、「東叡山」の山号はそちらに移り、その後の山号は「星野山」です。)
おそらく、戦国時代には、打ち続く戦乱の影響などで、他の大きな寺院と同じように、無量寿寺全体が衰微していたものと思われます。
そんな中、喜多院の中興の祖である天海が、家康の顧問的な存在となったことから、喜多院がずば抜けて栄えることになりました。
天海は、家康から「わしは、権現になって北の地から江戸を守るつもりじゃ。だから、日光に祀ってね。」という遺言を聞いた唯一の人間でした。
「本当に〜?」と思った人もいたかもしれません。だって、神様の格からすると、秀吉さんの「豊国大明神」の方が上ですもの。
「大御所、負けず嫌いなのに、本当に『権現』でいいのかなあ? 太閤さんは『大明神』だから、社格が高いんでしょ。やっぱ、まずいんじゃないの?」
江戸城内や駿府城内で、ひそひそひそひそ。
でも、「家康の遺言」を聞いたことになっているのは、天海ただ一人。誰も反証の材料を持っていませんから、天海さんの言う通りに事は運びました。
家康の亡骸は、久能山から、はるばる日光にまで運ばれ、「東照大権現」として祀られることになったのです。
そんな影響力の強い天海さんですから、川越にも東照宮を造っちゃった。しかも、「中院、邪魔なんだよ。」ということで、中院を移転させて。
ということで、中院は、今はそれほど大きくありません。
でも、季節の花がとてもきれい。
それに、島崎藤村の奥さんのお母さん、加藤みきさんのお墓もあります。
藤村が加藤みきさんに贈った茶室「不染亭」は、今も現役です。
(一枚目の写真は、「不染亭」前の紅葉です。
天海さんを祭るお堂、慈眼堂は、喜多院内の小高い丘の上にあり、昔は、このお堂の中に、百歳以上の長寿を全うされた天海さんの像が安置されていました。
覗くと、おっかないおじいちゃんに、「お前は誰じゃ。」と言われているみたいな気がしました(今は、本堂内に置かれています。)。
ちなみに、日光にも慈眼堂があります。そこまで登って行く人はほとんどいませんが。
慈眼堂のモミジも、「中院に負けると、天海さんに叱られる。」と思っているのか、がんばって輝いていました。
(二枚目の写真が、「慈眼堂」の紅葉です。)
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喜多院と中院
みのりさん、
慶喜さん、
コメントありがとうございます。
喜多院が江戸初期に焼けた際、江戸城内の紅葉御殿が
移築されたため、江戸城初期の建物が川越に残った・・・
家光誕生の間も、春日局の化粧の間も、今、見ることが
できる幸せ、これも天海さんのご威光のおかげ。
仙波東照宮造営のため移転させられた中院も、花の寺と
して情緒深く、この二つのお寺がある土地に生まれた
幸運をかみしめています。
2013/12/06 22:06:46
お礼
koyampi58さん
おはようございます。川越の歴史を教えていただき、ありがとうございます。
川越と言えば、家光さんが産湯につかったお寺、天海和尚が活躍した地の記憶しかありませんでした。ブログを読み、知識が『 点と線』結びつきました。
江戸幕府は、ある面では、上野の不忍池を見ても、京都を意識していましたね。
2013/12/03 04:32:37