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「こやんぴ」のぶらりお散歩ブログ
講演会場の近くで
2013年11月08日
テーマ:徒然なるままに
昨日からの講演受講、終了しました。
講師のお話についていけない場面も多々あり、勉強不足を実感。
もっともっと基本書を読み込む必要がありそうです。
ずっと座っていると体にもよくないので、昼休みには、会場とは道路を隔てた駅寄りにある新宿中央公園を散策しました。
この公園の中には、「写真工業発祥の地」の標柱があります。
現在のコニカミノルタの前身、小西六写真工業の工場が、この地にあったようです。
コニカのフィルムはよく使いましたし、カメラも複数台所有しています。
残念なことに、コニカミノルタでは、もうフィルムもカメラも作っていません。小学校の頃、最初に使ったカラーフィルム、小西六のさくらカラーだったんだけどなあ。
コニカのレンズは「小西六」の「六」にちなんで、「ヘキサゴン」と名付けられていて、定評のある名玉でした。重々しい名前がかっこよくて、子どもの頃の憧れでした。
カメラ業界は、今、キヤノンとニコンが東西の正横綱という位置づけですが、大御所のこの二社でも、カメラ部門の採算はよくないようです。かつての名門メーカーの撤退が続いているのも仕方ないことなのかも。
でもさびしい。
中央公園の一角には、神社もあります。
その昔、角筈熊野十二社と呼ばれていた熊野神社です。
今でこそ、公園の一角ですが、往時は、中央公園一帯が熊野神社の境内だったそうです。
そして、講演会場の付近には大きな池があり、江戸庶民の一大行楽地だったとか。
そう言えば、熊野神社は台地上にあり、講演会場付近はかなり低くなっています。台地上からは、滝がいく筋も流れ落ちていたというのですが、今では、地形から想像してみるしか方法がありません。
社殿の脇に、蜀山人、太田南畝の書が刻まれている水鉢が置かれていました。刻まれた名前は、本名の覃(ふかし)となっています。
南畝は、深い教養を身につけていましたが、貧乏御家人であったために、その才能を幕府という組織内で活かすことは叶いませんでした。
この水鉢は、盗難防止のためなのか、鉄柵の中に隔離され、水も張られていません。
寛政の改革の際、松平定信からにらまれ、逼塞していたという南畝の身の上と重なるような水鉢の位置づけでした。
※ ※ ※ ※ ※
講演会場からは、新宿中央公園越しに、副都心の高層ビル群が眺められました。
雲の間にUFОが飛来しているように見えるかもしれませんが、これは、会場廊下の照明が写り込んだものです。
太田南畝の水鉢は、頑丈な鉄柵に遮られ、なかなか全容を写すことができませんでした。
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懐かしい場所
いつも、大田南畝さんの様な心構えで暮らせたらと
思っていますが中々難しいですね、
大好きな文化人の一人です
以前の勤務地が、中央公園付近でしたので
懐かしく思い出しブログ読みました
熊野神社も数度行きましたが『コニカ』の会社
跡地とは知りませんでした
『富士・さくらフィルム』『蛇の目・ブラザミン』
ビジネス書では、例にだされますね
近日中に一度行きたいと思います
2013/11/10 08:20:25