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「日本傷痍軍人会」が解散へ! 

2013年10月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

    戦後68年、戦争ごっこの跳梁に怖さを覚えます。


「日本傷痍軍人会」が解散へ! 、という報がありました。
会員の平均年齢が92歳
あの大戦で負傷や病気をした元兵士でつくる「日本傷痍軍人会」が、
会員の高齢化そして減少で解散することになり、
3日、東京・明治神宮会館で
創立60年の記念式典と解散式が行われ、
会員約200名出席で、式典が行われました。



この報を聞いて、
戦後68年、
私の子どもの頃の想い出が、一気に蘇って来ました。


終戦の時が2歳、
小学校に入ったのが1950(昭和25)年、

幼心のまま、
近所にも復員兵さんが帰ってきて、
国鉄の駅にも、「万歳、万歳」と言って迎えにいきました。 


小学生だったと思いますが、
近所の悪ガキどもで、北野天神さんに遊びに行って、
その境内で、
戦争で片脚を失った
傷痍軍人さんが、アコーディオンを弾いて、
生活費の寄付を募っておられたのを覚えています。 



雑音混じりの木箱のラジオで、マッカーサー、の声を聞き
ジープに乗ったアメリカ兵の投げるお菓子に、
   ギブ・ミーチョコレート!、と群がり、 

馬蹄形磁石にひもをつけて、金釘を拾い、
それを、業者に売って、5円・10円を貰う、 
そんな少年時代でした。
金釘は、後で、
朝鮮戦争のための兵器に使われていたようなことも聞きました。 


漫画「はだしのゲン」のゲンみたいに逞しい、
そんな子どもが、当時、普通でした。


そんな子どもの一人だった私は、
傷痍軍人さんを見て、子ども心に、胸を痛めていました。

戦後68年、
あの北野天神さんの境内に居た軍人さんは、
戦後の厳しい生活を、
そして、今、どうして居られるのでしょうか?! 

私は、
傷痍軍人さんや、戦後のモノのない混乱期を
     目撃して体験して
戦争の悲惨さを、考えてきました。



記念式典での、天皇のお言葉・・・
戦傷病者とその家族が歩んできた歴史が、
決して忘れられることなく、
皆さんの平和を願う思いとともに
将来に語り継がれていくよう
     切に希望してやみません。  


いま、武力や軍事力で、
国の安全を、領土保全をしようとする
戦争を知らない世代の政治家が居ます。



戦争とは、何か??!!
どういう、悲劇・悲惨が、人々を苦しめてきたのか?!

について、もっと、あちらこちらで議論され、


戦争ごっこで、本当の平和が来るのか?! 
       ということについて、
戦争を知ってる世代の人が、
もっと、声を上げ、伝えて欲しいし、
若い人も、聴いて欲しい!!!

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