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ZRX1200S城

普賢寺 海商通り 

2013年09月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

               普賢寺
 
  境内は広いです。

                      普賢堂

普賢堂の周りは堀が回されています



大きな建物です。



 

 


十二支方位盤

開山堂
性空上人・薬師如来像が安置されています


開山堂と普賢堂をつなぐ橋


                     本堂

 

屋根には毛利家紋

    

堀にはおびただしい数の亀がいます 


                      
              
                    普賢寺

                    本堂 庫裏

 

 

本堂の側面にあります

     伝雪舟作

 

 


 
                 海商通り
普賢寺前から早長八幡宮を結ぶ通りは「海商通り」と呼ばれ、商家や廻船問屋の豪邸が立ち並んでいました
 
江戸時代に長州藩の重要な商港として開発
長州藩が商品流通のため室積に撫育方・御蔵・会所(役所)を設置し、藩の瀬戸内側の年貢米を集め、
大坂の米穀市場に売り出しました。
 
北前船も室積に寄港し、藩は役所や蔵、荷揚げ波止場等を整備し、越荷業を行い、全国各地から商人や廻船が出入りし、室積にも多くの廻船問屋や商家が軒を連ね、大変にぎわっていました。  

 


高札場跡
 高札場は、江戸時代、市場町・門前町・港町など、人の出入りの激しい要衝の地に、幕府または藩府の触書・掟書きなどが掲示された場所です。
 市内では室積に設置されていたことが、地下上申(1738年)、防長風土注進案(1841年)などの記録によって分かります。高札の大きさは統一されたもので、約56m2の板に墨書で記され、令文の長短によって板の幅が異なりました。その構造は、土台が石垣で組まれ、その上に頑丈な木組みで構築されていました。




往時の面影は想像できませんね
 

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