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いわおの部屋blog

私の父は日本刺繍の職人でした。 

2013年07月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



私の父は、私が小学生のころ、背広にネームを刺繍をして生計を立てていました。背広を縫う洋服屋さんが近所に多くあった時代の話で、今は町に洋服の仕立屋さんは皆無です。
洋服屋さんが、左肩の生地を私の家に持ってきて、その場でおしゃべりしながら縫っていた様子を思い出します。一枚縫っていくらだったのか?今ではわかりませんが、安価だったと思います。
今は街に洋服屋さんはなくなり、ネームもミシンで簡単にできます。そう 父はミシンネームが多くなってはやめました。
父は小学校もロクに出なかったと聞いたことがありましたが、私のおじいさんにあたる方は、神田にあった野菜市場で働いていましたが、ロクに働かない男だったと聞いています。いつだったか、どこかへ遊びに行き、父とおばあさんが いろいろと探し回ったと聞いています。どこかで見つけたと聞きましたが。遊び人で苦労の連続。父はお金がなく14回も引っ越し、挙句の果てにお金もなく、2回ほど他人の玄関で生活(寝かしてもらった)したと聞いています。
この話を聞かされたことで私はドッキリしました。厳しすぎる生活だった!ということです。しかし、この貧乏に負けずにおばあさんも働いたことでしょう。 今、父とおばあさんが日光に旅行した写真が残っており、厳しいながら少しでも楽しみを持ったこともあったのです。
この続きはまたにしましょう。いったん配信いたします。おばあさんの写真を探してみます。
 

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