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昭和2年生まれの航海日誌

イヌビワの友  (3) 

2013年07月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 通り雨があったようだ。路がすっかり洗い流されている。
 樹木の多い中を散策するのは素晴らしくヾ(@⌒ー⌒@)ノ。

 アメリカディゴが真っ赤に咲いている。夏はやっぱり赤が
似合う。

    

 もう、百日紅も咲き始める頃だ。
 炎天下頑張り通すあのパワーにすがりたい。

 帰りすがりのところで、イヌビワに出会う。
 枝、葉が整枝されていた。
    
  暑い時期は緑を残して欲しいものだ。

 「イヌビワの友」を続けなければならない。
 滿蒙開拓青少年義勇軍には三名を送り出した。
 14歳未満の少年ばかりであった。

 こられの少年が異国の荒涼たる地でどれほだの
艱難辛苦を舐めたかは、愛知県立大学大学院国際
文化研究論の「生活と実態」を見ると、 悲憤とともに
つぶさに知ることができよう。

 ある日のこと、友の兄と近くの河原に行った。
すると、バッタリと少年にあった。
 三人送り出したうちの一人だった。

 「逃げて来たのさ」
 兄が囁いた。
 そう言う兄は既にこの少年と会っていたようである。

 弟は食料欠乏の中で、過酷な労働をしている。そのうえ、
自分だけはどうしても知りたい、でも、その術が皆無で
あったのだ。厄介で片時も忘れられない精神苦労が続い
ていたのである。

 そのあたりの様子をどう聞き出したものか。
 逃げでも帰っては欲しいとは思っていなかったようだ。

 その少年は同じ遊び仲間でもなく、少し離れた在所に居た。
 それでも話をしてみた。
少年同士、武勇伝まがいのことばかりであった。

 よく見ると、足を怪我しているようで、歩行に自由を欠いて
いた。

 別段、県庁、学校監督あたりからのお咎めもなかった。

 家事手伝い、ダンプの運転もしていたが、
「逃走の手記」でもあらわしたろどうだろと思ったことがある。
 逃走の実現は中,韓国人の手助けもあってのことだろうが。
 

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