つれづれに

死に向かう心 

2013年05月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

これから新しい治療を始めましょうということで
死そのものを宣告されたわけではないが、
なんだか死を身近に感じるようになった。

そして自分では死を割合さばさばと受け入れられて
いるような気がしていた。

夫もなぜそうなのか分からないが、私同様
なるようになると、あまりあわてていない。

大体二人の足並みはそろっている(と思われる)

ところがです。二人で病院に行った時は
おいしく食べた寿司や天ぷらが、翌日からは
のどに引っかかって、違和感を覚えたり、軽い痛みを
感じたり、、、、。

水もビールも慎重に飲まないとむせって大変です。

そうするとこうして段々食べられなくなるのかなとか、
声も出しにくく、相手に聞き返されることも多いので
、そのうち咽頭のがんでしゃべれなくなるのかなとか、
いろいろ不安が増すのです。

要するに簡単には死なせてくれないことを
実感するのです。

台所でお茶碗洗うだけで、今でも息切れするので、
先行きは酸素が必要になるかもとか。

妄想でなく具体的に考えられることです。

これらのこともすべて受け入れるしかないわけで
夫と私は戦友です。

今のところ私に鬱の傾向は見られません。
どこまでもまえむきですが、対面する相手に
声が出せなくて、筆談というのも辛いことでしょう。

悪く悪く考えてもしかたがありませんが、現実を直視して
対応を考えるしかありません。



いただいてハンドバッグの隅に忘れていた
落花生の種、植えてみましたら可愛い芽を
出しました。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ