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平成の虚無僧一路の日記

「虚無僧」の特異性 

2012年12月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



『洛中洛外図屏風』を見ていて、考えました。

「虚無僧」は当て字で、本来は「薦(こも)僧」。
「薦」を身につけて旅をし、夜は「薦」にくるまって
野宿する「僧」だから「薦僧」。托鉢僧は「薦」を
持たない。

「薦」を持っているのは「巡礼」と「虚無僧」だけ。
「薦」を持って旅をするが、尺八を吹くのが「虚無僧」。
吹かないのが「巡礼」。

その昔、乞食のことを「おこも(薦)さん」と呼んでいましたが、
『洛中洛外図屏風』では、「乞食」は「薦」を持っていません。

仏の功徳を説く「高野聖」も「薦」は持たない。仏の
功徳を説くが「僧」ではなく「聖(ひじり)」と呼ばれる。

「虚無僧」は、元「侍」で「僧」ではないのに「虚無“僧”」と
呼ばれる。

虚無僧は尺八を吹く。琵琶法師や鐘叩き、ササラや鐘を打って
「説教節」などを歌う旅芸人・遊芸人と同じようですが、
虚無僧は「芸人」とは一線を画しています。

尺八を吹くのに「芸人」ではない。「僧」ではないのに
「僧」と呼ばれる。巡礼と虚無僧だけが「薦」を敷いて
野宿する。琵琶法師は「薦」を持たない。

まとめると、
托鉢僧と同じく門付をするので「虚無“僧”」となった。
托鉢僧は「薦」を持たない。「薦」は虚無僧のシンボルだった?。
野宿はしても「乞食」でなく、修行の一環と思われたのか。
また、尺八を吹くが「大道芸人」ではなく、尺八は宗教的な
祈り=「お経」の一種と見られた。
ここに「虚無僧」の特殊性があります。

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