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平成の虚無僧一路の日記

種田山頭火 

2012年12月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



種田 山頭火(たねだ さんとうか)は、1882年(明治15年)生。
父は、山口県防府市大道の大地主で酒屋を営んでいた。
11歳の時、母が自殺。旧制山口中学から早稲田大学文学部に
入学したが、神経衰弱のため中退。

1910年(明治43年)結婚し一児をもうけたが、家業の造り酒屋が
倒産し、妻子を連れ熊本市に移住した。古本屋を営むがうまく
いかず、1920年(大正9年)離婚。妻子を捨てて東京へ出奔した。

放浪の旅を続け、最後は 1940年(昭和15年)松山で歿した。
58歳。最後は死期を悟ったか、鉄鉢も人に譲り“方下着”。
僧形も捨てた。

そういえば、辻 潤(つじ じゅん)も、1884年の生れで、
昭和19年(1944年)放浪の末60歳で没している。正に
同時代の人だ。

この2人は、経歴まで私によく似ている。だが、山頭火は
山頭火、辻潤は辻潤。私は私。時代はもはや山頭火や辻潤を
育む世相にはない。二人の真似ではない“私の生きかた”を
確立しなければと思う。


・ どうしようもない私が歩いている
・ 分け入つても 分け入つても青い山

私なら
「坂を越え、坂を越えても 峠かな」と詠む。

幾つもの山を越えてきた。そして今なお、越えて行くべき山は、
常に眼前に立ちはだかる。『山頭火と歩く』という書も
ゴミ箱に捨てる。

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