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パトラッシュが駆ける!

素通り小道 

2010年07月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



男が店の前に立ち、こちらを窺がっている。
菅笠を被っている。
それに黒い袈裟。
と来ればお坊さんだ。
手には鉢。
となると、托鉢僧だ。
珍しいこともある。
托鉢はおろか、物乞いなんぞ、もう長いこと、来たことがない。
世の中が豊かになり、お坊さんもお寺も、裕福になったのだと、
私は勝手に思っていた。


意外なことになった。
顔が合った、と思った次の瞬間、お坊さんが、
身を翻し消えてしまったのだ。
ははぁ・・・
この店では、どうせお布施はもらえないだろうと、
彼、見限ったに違いない。


そりゃ、私の店は、小さい。
貧相に見えたかも知れない。
しかしながら、貧者の一灯ということもある。
私だって、大金はだめだが、喜捨するくらいの金には、
不自由していないのだが。


何たるお坊さんだ。
掌を返すという言葉がある。
彼の身のこなしの素早さを見て、これを思い出した。


気になって、商店街に出て見たら、彼はもう、
100メートルも先を歩いている。
足が速いのである。
そして、商店を軒並み訪れるわけではないようだ。
何軒もの店を素通りし、S時計屋の店頭に立った。
つまり、その間にある店は、彼のメガネに叶わなかったということだろう。
見くびられたのは、私の店だけではなかったようで、ちょっと安心した。


 * * *


「それ、にせ坊主だぜ」
ちょうど碁を打ちに来た、Nに言ったら、彼、目を剥いた。
「盛り場に行くと、よく突っ立ってるだろ。あれ中国人がやってるんだ」
「何宗の、何と言うお寺だか、問い詰めてみようか」
「答えっこないさ」
「お経くらい、唱えるんだろ」
「それだってどうかな」


惜しい気がしないでもない。
にせ坊主と知っていれば、それがどんなものか、もっとよく観察したかった。
しかし実際に、店の前で読経を始めたら、どう対応したらよいか・・・
私には、咄嗟の判断が出来ない。


その後に、ネットで托鉢のことを調べて見た。
今は便利な世の中だ。
様々な情報が、簡単に手に入る。
しかし半面、努力というものをしなくなり、ボケを助長する恐れもある。


間違いない。
ニセと思われる。
本来の托鉢は、家を選んだりせず、各戸を逐一巡るものだそうだ。
門口で一礼し、お経を唱え、喜捨があろうとなかろうと、
また一礼して去って行く。
そういうものだそうだ。


そして、その身なり。
本物の托鉢僧は、古ぼけた墨染めの衣に脚絆、冬でも素足に草鞋だそうだ。

スニーカーなんぞ履いていたら、それだけでニセと分かる。

靴下でも履いていたら、なおさらだ。
次に盛り場で見かけたら、私は少し離れて、
その足元を見てやろうと思っている。



 * * *


私の死んだ母は、信心深かった。
他の物乞いはともかく、お坊さんが回って来た場合には、
必ず、なにがしかの金を差し出していた。
もちろん、小銭である。
死んだ父母や兄弟の、菩提を弔ってもらうためよと、こう説明していた。
今から四十年、五十年前の話である。
当時、にせ坊主は、居なかったと思われる。


仮にそんなのが、混じって居たとしても、母は動じなかっただろう。
それはそれで、仕方のないことだと、割り切ったに違いない。
幸せな時代であった。
そこへ行くと今は、嫌な世の中だ。
人を騙す話ばかり。
電話でも何でも、すべて疑ってかからねばならない。


 * * *


隣の慶介のところへ、人がやって来た。
帽子を被ったご婦人の二人連れだから、すぐにそれと知れる。
某宗教団体の、布教活動であろう。


インターフォンを鳴らして、幾ら待っても、応答がない。
それもそのはず、平日の昼間に、いい若い者が、在宅しているわけがない。
諦めて、歩き出した。
次は、私の店かなと、少し身構えて待った。
そうしたら、その二人連れ、店を覗き込みながら、素通りして行く。
顔を見合わせ、頷いているようにも見える。


ははぁ・・・
心当りが、ないでもない。
私は、これまでちょくちょく、彼女ら一派の語るところに、
反論を加えて来ている。
私としては、論破したつもりだが、彼女らは、
平行線だと思っているのだろう。
あそこの金物屋のおじさんはね・・・
その集まりの中で、噂になっているに違いない。
煮ても焼いても、食えないのよと、こう言ったかどうかは知らないが、
忌避すべき対象とされている可能性はある。


人間は、勝手なものだ。
歓迎は出来ないが、さりとて、素通りされるとなると、
これが何となく寂しい。
どうしてなのさ・・・
聞いてみたくなる。


もしかしたら、あのニセさんも、私の顔を見て、逃げ出したのか・・・
ふと、思ったりもする。
これは、喜ぶべきか、悲しむべきか。
私は、その辺りも、よく分からないでいる。

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