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昭和2年生まれの航海日誌
氷海から脱出した男たち (2)
2012年02月09日
テーマ:テーマ無し
宗谷岬を回って、千島列島 択捉島北方に進路を定めた。
フルスピードである。
遭難船情報は刻々入ってくる。生存者1名を含む、4名を
収容した。
「さっきの海水は」
「−?℃でした」
−1℃、生存時間は30〜90分か、あのタイタニック号
の遭難現場は−2℃であった、と報じられている。氷山が流れて
いたのだから。
流氷期が終わる頃だったが、ウイングに出ると寒かった。
船速だけで6〜7メートルの風になるのだから当然だ。
現場に到着したときは、真っ暗闇になっていた。
救助船に接近して船を停め、遭難者を収容することにした。
救助船から渡される遺体は氷結しており、百キロの木材より
重かった。
後日、生存者から聞いた話。
転覆した当初は、4人はエンジンルームに集まってエンジンの
余熱で暖をとっていた。
「このままでは助かる見込みがない、船外に脱出しよう」
「今出たのでは凍え死になるだけだ、止めておけ」
と、2,3回云ったが聞き入れなかった。
各人の命にかかわることなので、意思通りにさせた。
若者達はエンジンルームの天窓を目がけてもぐりこみ、浮上
したようだった。
私は、必ず救助がしてもらえるものと信じて、足が海水に浸か
ながらも、手摺り掴んで体を温めていた。
夜が明けて、エンジンの音を聞こえてきたので、ここぞと
ばかりに、船外に泳ぎでて助けられた。
腹のすわった人だなあ、あの状況で沈着冷静な決断、適切な
行動、人業ではない。神が生きようとした人間に授けてくれた
力である。
若者たちも、一人を置き去りにして逃げたのではない。後で
きっと助けにくるつもりだったのである。
今年は、流氷観光でどっと押し掛けてくるようだ。
私は、地球温暖化で騙し続けられていたが、昔のように流氷が
来てくれるのが、なにより嬉しい
トドも来てくれ。
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