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作品名 聖(さとし)の青春 評価 評価評価評価評価(4)
タイトル 意外にも
投稿者 パトラッシュ 投稿日 2016/12/04 08:33:07

私はこのところ、続けさまに、映画を見ています。
「映画づいて」いるようです。
「盛りが付いた」わけでは、ありません。
たまたま、そう言う時季があるのです。

先週には「オケ老人」を見ました。
落語の人情噺のようでもあり、これが実に、面白かったのです。
さて今回は、がらりと、様子が違います。
志半ばにして、病魔に倒れた、若者の物語です。
しかも、将棋の世界の話ですから、興味のない人も、少なくないでしょう。

私の場合は、多少なりとも、将棋に縁があります。
昔から、将棋は好きでした。
毎週日曜日の、テレビ棋戦は、欠かさず見ています。
近くの小学校の、クラブ活動に通い、子供達に囲碁将棋を教えています。

映画の主人公、村山聖(さとし)さんも、かつてテレビ棋戦に出ていました。
異様に膨らんだ頬と、伸び放題の髪……
その姿を、容易に忘れられません。
一見して、放恣を思わせる、特異な風貌ですから。

私は、この映画の封切を知るや、見に行こうと思っていました。
妻に声をかけたのは「義理」です。
「人が死ぬ、暗い物語だけど、あんたも、行くかい?」
彼女多分、断わると思いきや、どういう風の吹き回しか「行きます」と即答したのです。

意外は、そればかりではありません。
映画館は、平日の昼間だというのに、かなり込んでいました。
客層もまた、老若とりまぜ、男女とりまぜです。

さらに意外がありました。
「よかったわ」
映画館を出てから、妻が、ぽつりと言ったのです。
「オケ老人より、良かったわ」
これに驚きました。
ものの見方というのは、実にもう、人それぞれなのです。

「私は、オケ老人の方が、良かった」
私の意見も、言いました。
ちなみに私は、妻に対してさえ、一人称代名詞に「私」を使っております。
尻に敷かれているわけでは、ありません。
単に、そういうクセが、ついているだけです。
ちなみに、二人称には「あんた」を使っております。

 * * *

病身を鞭打ちながらの、羽生名人との死闘が、繰り広げられます。
その戦績は、生涯を通じ、村山さんの六勝八敗でした。
ライバルと言ってもよいでしょう。
もしも健康な身体だったら……ということを、思わないわけには、行きません。

腎ネフローゼ、膀胱癌、そして転移、膀胱の摘出……
病魔との、闘いに終始した、人生でもありました。
しかし、自らの身体を、省みることなく、将棋の道を、一筋に歩む人生でもありました。
命を縮めてでも、将棋を捨てない。
名人を目指す。
その対局のシーンには、鬼気迫るものがある。
などと言うのは、月並かもしれませんが、他に言葉が見つかりません。

肥満と共に、浮腫みもあるのでしょう。
その膨らんだ顔は、異相であり、もっと言えば、醜怪であるかもしれません。
それがまた、彼の異様な闘志を表すに、効果的であるのかもしれません。

「松山ケンイチは、この役を演じるために、二十キロ、太ったそうです」
「そんなこと、出来るのか」
「出来るそうです」
妻は、芸能事情に詳しいのです。
一方の私は、そういう枝葉末節には、関心がありません。

「二十キロも太っちまったら、もう、元に戻らないだろ」
「大丈夫、戻るそうです。逆も同じです。痩せたって、病気でなければ、
すぐに戻りますから」
彼女と来たら、妙なことばかり、詳しいのです。

「羽生名人をやった、ほら、何とかという俳優……」
「東出昌大です」
「そう、それ。彼は上手かった。あの瞬きから、口の半開きまで、
よくぞあれだけ、羽生名人に、似せられたものだ」
「松山ケンイチだって、よかったでしょ」
「まあまあかな……」
実在の人物を、知っているってことは、映画を見る際に、案外邪魔になるのです。
どうしたって、そこに、比較が働いてしまいますから。

脇役の、棋士も同じです。
映画で「荒崎学」となっている、そのモデルは「先崎学」八段です。
実を言えば、その一家と私は、縁あって、個人的に旧知の仲なのです。
だから、よく知っています。
映画の中の自分を見て、先崎さん、きっと苦笑していることでしょう。
「おれ、あれよりずっと、イケメンだぜ」と。

 * * *

私は日頃、テレビ棋戦を見ることにより、棋士の対局時の、顔を知っています。
それはもう、真剣なものです。
熟考に沈んでいる、その姿を、不思議なことに、見飽きないのです。
人により、それを美しいとさえ、言います。

同じことが、音楽家の顔にも言えます。
中でも、オーケストラの各楽器を、奏でる人達です。
楽譜を見、指揮棒を見る、その真剣な目がです。
私の、特に好きなのが、オーボエ奏者……
お笑い下さい。
リードをくわえた、その顔に、何時も惚れ込んでしまうのです。
楽器に吹き込む、その呼気。
そこに含まれる、彼または彼女の、思いを忖度してしまうからです。

ちなみに、私は音痴であり、音楽は聞くだけ。
まったくもって、演奏など、思いもよらぬことであります。

そんなわけで、棋士の真剣さを見慣れている。
そうすると、映画の中のそれに、驚かないのです。
それどころか、本物に比べると、場面から滲み出るものが少ない。
それを、見えざる「気」ということも出来ます。
「気」とは、鋭気であり、覇気であり、時に殺気でもあります。

ともかくも、そう言うものを、既にして、体感したことがある。
そうすると、映画のそれが、いかにも作り物に見えてしまうのです。

妻は、この映画に、☆を五つつけました。
私は☆四つです。
その差は、この辺にあるかもしれません。

 * * *

「蕎麦でも食って、帰ろうか」
「あたし、ラーメンがいいな」
「だめだ。今日は蕎麦で行く」
「強引ねえ」
私だって、主張するところは、断固として、するのです。

「美味いじゃないか、この蕎麦。西荻のUと、いい勝負かな」
「Uの味って、このところ、落ちて来たみたい」
「そりゃ、食べ慣れて来たからだ」
「そうかしら……」

私達夫婦は、生活全般に渡り、概ね一致しないのです。
映画評において、☆一つの差は、むしろ、一致している方かもしれません。

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コメント

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シシーマニアさん


何というタイトルだったか忘れてしまいましたが、ショパンがジョルジュ・サンドの館に滞在していた時代を舞台にした、映画を見たのを思い出しました。


とにかく役者の顔が似ています。横顔の鼻のラインなど、よくここまで、と思うほどに・・。
きっと、この顔立ちで配役が決まったのでしょう。

でも、顔が似ているか否か、なんて二の次ですよね。
天才を演じるには、役者も天才と同程度の経験(あえて、才能とまでは言いませんが)を積んでいなければ、説得力に欠けます。

ちょっと、憤りを覚えながら帰ってきたことを思い出しました。

>ともかくも、そう言うものを、既にして、体感したことがある。
>そうすると、映画のそれが、いかにも作り物に見えてしまうので>す。

同感です!

2016/12/04 09:45:51

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
そうです。
いくら顔が似ていても、それだけで、役は務まりません。
多くの観客を、納得させるのは「芸」であり、そこでは、
内面からにじみ出るものが、必要です。

一方で、観客もまた、試されるのだと思います。
上辺だけで、手もなく騙されるようでは、情けないですから。

2016/12/04 16:42:31


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